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私の短歌オリンピック・人名編 [短歌]

私の所属している結社誌「塔」一月号が届いた。
特集は五輪の年にちなみ「私の短歌オリンピック」で。
テーマごとに三首を引き、金銀銅の評価をつける、というもの。
たとえば「人名」では、河野裕子さんが娘の紅さんを詠まれた歌
などが選ばれている。筆者は川上まなみさん。

読んでいるうちにわたしもやってみたい、と思い始めた。
私なら、あの歌とこの歌と・・次々に浮かんできて、
メダルが三個ではとても足りない。きっと原稿依頼された
方々もそのあたり、苦渋の決断を強いられたのではないか。

私なら絶対入れた、と思える人名を詠んだ歌を三首挙げてみる。

 ヴィヴィアン・リーと鈴ふるごとき名をもてる手弱女の髪のなびくかたをしらず
                     葛原妙子『縄文』

 名前の美しさ、その名前をまず、音で捉えている歌人の耳の良さ。
 人名の歌なら、その響きの美しさこそに注目されるべき、とも思う。
 映画「風と共に去りぬ」で見せた傲岸なまでの美しさと、同じく
 「欲望という名の電車」での、崩れかけた薔薇のような退廃と・・。
 その名の響きの中に、永遠の女性性が靡いている・・・。

 日盛りを歩める黒衣グレゴール・メンデル一八六六年モラヴィアの夏
                     永田和宏『やぐるま』

 この歌も、人名の響きが生きている歌。メンデルは長く取り組んでいた遺伝学
 についての自己の成果が認められず苦しんでいたらしい。ごつごつとした
 濁音の多い名前に、苦渋が折りたたまれているかのようにも聞こえる。
 夏にして装う黒衣は彼が修道士だったから。でもそれもまた、彼の
 閉塞感を表しているよう。

 佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室へ行きしが佐野朋子をらず
                      小池光『日々の思い出』

 人名を詠んだ歌、とくればこの歌が外せないはず、と私は思っている。
 ナンセンス、と言ってしまえばそれまでだが。読んだとたん、どんな
 名前でもうまくいかなかったかも、と思えたから不思議。「さのともこ」
 という、どこかはすっぱな感じのする女名がうまく居座っていて。
 なぜなのだろう、と考えてみると。
 「さ」「の」「と」「も」はいずれも助詞、そして「こ」は接尾詞。
 つまり「さのともこ」は助詞と接尾語だけでできている固有名詞なのだ。
 そこからは、確たる実体が立ち上がりにくい、といえるのでは。
 こんなところまで小池さんが 考えて作ったとは勿論思えないけれども。
 

 
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