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茎立菜 [食文化]

朝、いつものように電子版の山形新聞を見ていたら、
「茎立(くきたち)菜」についての記事が目に留まった。
山新で紹介される食材のほとんどが初耳、の私なのだが、
この「くきたち」という言葉は記憶の中にあって、はっとした。

記事によると、「春を告げる野菜」なのだとか。秋播きして、
2,30センチほど成長した後葉を落し、雪中で育つ茎の部分が美味なので、
こう名付けられたようだ。菜の花に似た野菜で、小松菜にも近い植物らしい。

さらにネットで調べてみると、一種の伝統野菜で、万葉集にも
詠まれている、とある。廣野卓『食の万葉集』(岩波新書)を開いてみると
「間引き菜(九々多知・茎立ち)」との項目に
  上つ毛野 佐野の茎立折りはやし 吾は待たむゑ来しとし来ずも
           巻14-3406上野国歌(こうずけくにうた)

とあった。茎立を「トウが立った」つまり「盛りを過ぎた女性」に
見立てて、少々おふざけで詠んでいる、と思われるような歌である。
和歌によくあるように、「茎立」そのものを詠んでいる歌ではない。

さらに、私が食べていた「くきたち」なる野菜と同じものかな、と
言う気もしてくる。単なる「間引き菜」なら、一種の普通名詞みたいだし。

子供の頃食べていた茎立は、やはり菜の花に似た味がしたような
気もするのだが、もう忘却の彼方である。ちなみに私が育った
山形県置賜地方には、「ふすべ漬け」という茎立を使った郷土料理
もあると、ネットに載っていた。ふすべ漬け???
全く覚えがない。いつもお浸しだけで食べていたような記憶しかない。

でも、雪の下で自らの葉を落してまでも、雪解けを待つ野菜がある、
なんて、ちょっと涙ぐましくて。ついここで、紹介したくなったのでした。               
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「げんげ」とは? [食文化]

いつも行くスーパーマーケット・Sは、大きくて品揃えも良いが、
難点は、魚の種類が少ないこと。いつ行っても、ほとんど同じ魚
ばかりが目に付く。先日、魚好きの相棒が、「Fに行こうか?」と
提案してきた。車で十分余りかかるところにあるスーパーで、
私の住む地域の中心部にあるショッピングセンターの中にある。

Fは面積としては小さいが、Sにはない食材を多く目にする。
こちらの難点は、駐車場へ、スーパーのカートを持ち込めないこと。
購入したものは、自分で運ばなければならず、沢山買ってしまった
先回は、車に運び込むのに難儀してしまったので、今回は
相棒がリュックを用意していくことになった。

でも、それだけのことがありました! このスーパーで、初めて
目にする魚が売られていたから。その名もげんげ!平仮名のそばに
「幻魚」と漢字も添えてありました。幻の魚と書いて、げんげ?
東北や北陸で水揚げされる、深海魚の一種らしい。
ちょっといかつい顔が恐ろしげ。尾びれがすうっと伸びているあたりは
うつぼのよう。うろこがないところもよく似ている。

購入して帰り、ネットで調べてみると、鍋物か煮つけに好適とか。
早速その晩は、げんげの鍋、そして一部を煮つけて、食べてみました。
身はとろとろで、一部が透き通っているほど。魚、というより
まるでゼリーのようでした。臭みも少なく、特にみりんと醤油だけで
煮つけた方が美味でした。ただ、見た目より実際の身の部分が少ない。
以外に骨太な魚なのでした。

スーパーFには、他にも珍しい魚があったので、また
挑戦してみようと思います。

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韓国の食 [食文化]

韓国は何度か訪れ、また二カ月ほど暮らしたこともあったが、
その度に食文化の豊かさを感じてきた。キムチと焼き肉が代表的だが、
もちろん、それだけではなく。特に冬の鍋料理などは絶品だった。
だけれども・・・。

私は昨年『砂糖をめぐる旅』という紀行文を刊行したが、砂糖産業を尋ねて
訪れた十数か国の中に、フィリピンも入っている。特にネグロス島が最も
製糖の盛んな島なので、観光地ではないだけに大変だったが、とくに計画して
十年ほど前に訪れている。

ホテルのロビーに着いたとき、多くの東洋人がたむろしているのに驚いた。
特に彼らが若かったこと。年齢はいろいろだが、下は五、六才(保護者が
付き添っている)から、十代後半~二十代で、六、七割は男性だった。
耳を澄ますと、韓国語が聴こえる。何を目的に大挙してこの島に?
さらに不思議だったのは、朝食時も夕食時も、レストランやカフェなどで
彼らのうちの誰とも会う事はなかったことである。廊下ですれ違うことも、
エレベータで出会うこともない。あの団体はどこで過ごしているのだろう。

その謎は翌翌日に解けた。ロビーで製糖工場へ行くためのタクシーを
手配してもらっていると、綺麗な日本語で話しかけてくる青年がいた。
「韓国人だけかと思ったら、日本人もいたんですね」
と驚いたのだったが・・・。彼によると、この若者の一団は、ホテル内で
ひらかれている英語の講習会に応募してきた人たちだという。

「僕も参加しています。別のビジネスホテルに泊まって、ここには
毎日通ってます。フィリピンは安く英語を教われる国として、今、
中国や韓国では人気なんです。ネグロスはとりわけ安いし・・」
と言いだすではないか。それで一つ目の謎は解けたのだが・・・。

「彼らはどこで食事しているんでしょう?レストランでは見かけないけど」
「料理人付きで来てるんです。特別な部屋で彼らだけで食べてるそうです」
「そうなんだ。最初の日にロビーで大勢過ごしているのを見たけれど、
あとは、廊下でも会わないし。プールとかにもいないし・・・。
どう過ごしているんだろうって、不思議だったんだけど」
「沢山課題が出ているから、みんな部屋に籠って勉強してるんですよ。
休憩時間もあるけど、韓国から持ち込んできたお菓子が出るらしいし」

韓国の人らしいなあ、とそこで大きくガテンしたのだった。

自国の素晴らしい食文化は、大いに誇るべきだ。けれど、しかし。
「郷に入っては郷に従え」ということもあるのではないか、とも思う。
ネグロス島のホテルに籠りっきりで、韓国食だけを食べ、韓国人同士だけで
過し、ほとんど島の様子を見ることも、島の人たちと触れ合うこともない。
それで異国語を学べるのかな、という気もするのだけれど。
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寒い日のスープ [食文化]

このところ、寒い日が続いています。我家は東京の南西端にあり、
都心よりはおおよそ2,3℃低い。霜が降りている日も多いこの頃。

あったかいスープが摂りたくなりますね。それで我が家で愛用している
スープのメニューを一つご紹介します。特に、キムチが余りそう、な
ときに便利な料理です。少し古くなってやや酸味が出ているくらいでも
かえって美味しいくらいにできますので。

1,キムチと豚のバラ肉(細切れでも)を油を引いたフライパンで
ざっと炒める。小鍋に写す(フライパンに厚みがあれば、そのままでも)
お肉とキムチの量は、お好みでどうぞ。

2,1にお湯を加える(二人分なら350CCくらいかな)
3,煮立ったら、豆腐を加え、味噌を溶く。味噌の量は、お味噌汁を
作る時より、やや少なめにするのがいいようです。

煮たてないようにあたためたら出来上がり。

簡単でしょ! わかめや韮、三つ葉などを加えてもいいです。
溶き卵を入れると、主菜級の料理になりそうです。

以前は、2,の段階で、小さな雪平鍋に移して個別で作っていたのですが、
つまり、二人分なら二つ鍋を用意して・・。
数年前、レンジをIHに変更してしまい、雪平はつかえなくなってしまい・・。
この料理は、雪平を使った方が熱が逃げなくて、美味しくできる気がします。
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初あめ [食文化]

山形新聞の電子版を読んでいたら、12月6日一面に、
「新年には初あめ 福の味」という見出しつきで、
大なべに麦芽水とグラニュー糖を混ぜ、
飴づくりに勤しむ製菓店の写真が掲載されていた。

私は山形県南西部で育ったが、こういう風習はなかったので
興味深く読んだ。年の初めに口にする「初あめ」という縁起物
文化は、山形県特有のものである、とも記事に書かれているが。

もう三十年近く前に、夕方のニュース番組の中で「飴よばれ」
という風習について報道されていたことを思い出した。確か
福島県の只見町あたりの風習で、冬季に女性たちが麦芽水飴を
手作りして、仲の良い女性たちと集まって、おしゃべりし合う、
といったものだった。雪深い町で、たぶん女正月、のような
のような習慣だったのではないだろうか。

それでもう一つ、秋田県に伝わる「飴市」についても思い出し、
ネットで調べてみると、こちらは大館市で行われる、旧正月の
行事だった。起源は四百年ほども遡り、天正年間に始まった、
というから凄い。正確には「アメッコ市」と称されて、ミズキの
枝に色とりどりの包装紙にくるまれた飴を飾ることでも有名らしい。

その写真を見て、子供の頃、旧正月の市の時に、数十センチほどに
切った木々の枝に色彩のついた麩のようなものを飾り付けて
売っていたことを思い出した。あれは麩ではなく、
小麦粉で作った薄焼きせんべいのようなものだったかもしれない。
友達の家に飾ってあるのを見た記憶があるが、我が家では一度も
購入したことがなく、実体は良く知らないのだが。

山形の初あめの記事から、飴にまつわる東北の文化が次々に
思い出される。寒い東北地方では、冬季の甘味は身体にとって、
いやそれ以上に心にとって、必要な栄養だったのだろうと思うのである。
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秋のお惣菜 [食文化]

このところ、どこにも行けず、外食も最低限に抑えている。
ということはつまり、おさんどんに追われている、ということだが。

当然ながら、同じような料理を繰り返し食卓に並べる、ということも増える。
何かしら新しい情報を仕入れて、マンネリ化している食卓にカツを
入れたいところだけれど。料理本や、料理番組を見ても、あまり参考に
ならないことが多い。相棒に好き嫌いが多いことが一番の理由だが。

先日、時間が中途半端に余ったので、Eテレの料理番組をぼんやり
見ていたのだが。我家でも利用できそうな料理が紹介されているのに
気がつき、慌ててメモを取り出した。その時は三種類くらいの
料理が登場していたのだが、私が興味を抱いたのは、鶏肉と茸、薩摩芋を
材料とした主菜である。早速一度作ってみた。まずはそのレシピ通りに。

鶏の腿肉200gは一口大に切り、ほぐしたしめじはお茶碗に一杯分くらい。
小ぶりの薩摩芋一本は1,5センチ幅位に切り、二分電子レンジにかけておく。

鶏肉は大匙一杯の塩麹をまぶして5分ほど置き、熱したフライパンに
油を引いてから、炒める。薩摩芋も一緒に炒めた後、カップ半分ほどの
水を加え、ふたをして七分ほど蒸し煮する。しめじを加え、オイスター
ソースを大匙半分加える。蓋を外して2,3分煮た後、下ろし際に
醤油大匙半分を加え、よく混ぜ合わせると出来上がり。

食べてみて、薩摩芋はこの料理には合わない、と感じた。
甘味があるし、それなりのヴォリュームもあるので、主菜には
向かないように思えるのだ。私はサツマイモをじゃが芋に替える
ことに。七分の蒸し煮時間内に柔らかくなるように、やや細めの
櫛型に切り、レンジにはかけないことにした。また、
色どりを考えて、ピーマンを一個、八等分にしたものを
加えることにした。蒸すときの水をほんの少しだけ多めにして、
最後に水溶き片栗粉を加えて、スープを閉じ込めることに。

我家流に手を加えて食卓にだすことにしたのです。
自分でもなかなか美味な一品に仕上がった、と思いました。
お試しくださいませ。なお、分量はおよそ二人前です。
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越後のお酒 [食文化]

「塔」十月号を読んでいたら、連載されている「私のコレクション」の
コラムに目が留まった。中野功一さんの「日本酒の歌③」である。
題名は「酒蔵と歴史」冒頭に吉川宏志主宰の作品が引かれている。

 くちゅくちゅと輪切りの海鼠噛みながら<吉之川>とう酒に親しむ
                   吉川宏志『海雨』

中野氏はこのお酒は新潟県長岡市にある蔵元のお酒<吉乃川>の
ことではないか、と説かれている。途端に、懐かしい記憶が蘇った。
子ども頃に住んでいた山形県南西部の町では、民放は新潟放送しか
受信できなかったのだが、このお酒のコマーシャルが頻繁に流れて
いたことを覚えているのである。実にシンプルなCMで、
  うまいお酒は吉乃川
という女性の声が聞こえてくるだけ。画面には勿論そのお酒の瓶が
写し出されていたはずだが(映像は全く記憶にない)。

大学卒業後、私は横浜市に入職したが、同僚に新潟県三島町出身の男性がいた。
三島町は長岡のすぐ近くで、私の父と同じ、長岡高校の卒業生だった。
彼が「断然うまい酒だから」と紹介してくれたのが「朝日山」。
一度職場の懇親会の時に「朝日山」の一升瓶を持ち込んできて
皆にふるまってくれたこともあった。そう、コメどころである越後の
お酒はおいしいのである。

最近はどこの店にも置いてある「菊水」は、子供の頃ご近所だった
Mさんの奥さんの実家のお酒。菊水は全国展開していなかった頃は
実に美味なお酒だったのだけれど・・・。今は、ちょっと(モゴモゴ)。
どんな食べ物もそうだけれど、やはり製造された地域で、その風土や
気候そのものと共に味わう時、一番美味なものかもしれない。

ところで、私の祖母の実家・牧江家は糸魚川市奴奈川に蔵を構える
造り酒屋だった。屋号を泉屋といい、「玉ノ井」が主力商品だった。
だが、大正の前期に廃業してしまっている。長く続いた泉屋を潰したのは、
祖母の父、牧江敬六らしい。
祖母の曽祖父(靖齋)と祖母の祖父の弟(礼助)が糸魚川市の文人として
知られていたため、磯野繁雄著『小城下文人伝』に二人の業績に
ついての小文が載っているのだが、
礼助の項の末尾に、私の祖母の父・敬六についての記述もある。
 
 敬六は物にこだわらない磊落な人物だったが・・・花柳の巷や
 妾宅に放蕩を重ね、さしもの泉屋をそれから二十年足らずで
 没落させてしまった・・・。

「泉屋っていったら、大した蔵だったがのう」
生前の祖父の、やや皮肉に満ちた口調を思い出す。
玉ノ井はどんなお酒だったのだろう。残念なことだ。
ちなみに、父が亡くなった時、父の文箱に古い除籍簿を見つけたのだが、
敬六の子は長女の祖母の他に十人。だが、庶子(お妾さんの子?)
として、ほかに十人の子も載っていた。親族の話だと、敬六はすべての
子どもたちを分け隔てなく育て、高等教育も授けたという。
むむむ・・・。なんとも・・・。ほろ苦い話ではある。
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梨のはなし [食文化]

子供の頃、山形県南西部で暮していたが、九月の中旬を過ぎると、
新潟県新発田市近辺からトラックで「梨売り」がよくやってきた。
我家ではまとめて10個ほども購入するのだが、母親に
「少し寝かせてやらないと食べられないのよ」
と言われていた。そして
「米櫃に入れておくと、早く食べごろが来るわよ」とも聞かされた。

お米の力が、梨を美味しくするのかな、と思っていた。
それから3~4日すると、食卓に並ぶようになる。歯に吸い付くように
ねっとりと甘く、香りも良く、梨の季節が楽しみだったことを覚えている。

中学卒業後、東京へ引っ越したのだが、秋口に果実店に並んでいる
「梨」を見て驚いた。形が違う、色がちがう、味が違う、歯応えが違う!
概して、じゃりじゃりして美味しくない、ああ、あの美味な梨は、
東京にはないのか! と残念至極に思ったのだったが。

まもなく、私が食べていた梨は、東京では「洋梨」と呼ばれていて、
普通に呼ばれている「梨」とは品種が異なるのだ、と知った。
子供の頃私が食べていたのはバートレット種の洋梨で、
しずく形をしている。収穫後しばらく追熟させてから食べ頃に
なる、という点でも、和梨とは大きく異なる。

バートレット種の梨は東京ではなかなか見つけられずにいるうちに
山形産のラ・フランスが登場するようになり、洋梨といえば
一時はこちらだけを指す、というような時期も多かった。

最近スーパーで、プレコースという新たな品種の洋梨をみつけて
購入してきた(まだ追熟中で、食べ頃を待っているところ)。

三年余り前、施設の母を訪問し、おしゃべりしていた時、新潟の
洋梨の話になった。いつも、追熟を待たされたよね、ということになり。
「米櫃に入れると早く美味しくなる、って言ってたでしょ。
私も時々やってみてるよ」
というと、母が笑い出した。
「子供は食べたい食べたいって、せがんでくるからね。
見えないところに隠していただけよ」
と言われ、大笑いすることになった。ああ、半世紀も
騙されていたんだった・・・。
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鮭の料理 [食文化]

日中はまだまだ暑いのだけれど、朝晩はさすがに涼しく、
秋という季節を感じられるようになった今日この頃。
秋といえば、美味しいものが沢山登場する季節でもあり。
魚売り場に秋サケが登場しているのを見て、早速
購入することに。例年に比べ、お値段は少々張りますが。

子供の頃、東北で育った私にとって、鮭はかなり一般的な、
というか、特に冬季は、かなりの頻度で登場していた魚。
ネコマタとも呼ばれておりました(「猫も跨ぐ」とか「猫も
『またか』と呆れるとか、諸説はあるが・・・)でも、
そういった先入観はぬきにすれば、なかなか美味な魚なのです。

私は、かりっとした鮭を味わうのが好きなので、粉をはたいて
フライパンでバター焼きしたものがベストだと思うのですが。

関西育ちの相棒にとっては、鮭は一種高級魚のイメージも
あるらしく。シンプルな食べ方よりも、賑やかな食べ方(って、
かなりイメージ先行のひょうげんだが)が好きらしい。

「ちゃんちゃん焼きにして」と言われたことがあり、ネットで
調べて、早速作ってみたのは数年前。そのことを思い出し、
今回もその料理にすることに。

鮭の切り身、数センチ角に切ったキャベツを中くらいの大きさの
ざる一杯(一個の四分の一くらい)、小分けしたしめじを
お茶碗一杯くらい、さらにピーマン二つ、玉ねぎ半分をそれぞれ
細切りにしたもの(人参を入れるというレシピが多いが、相棒が
それを見た途端食べなくなる恐れがあるので却下)。

鮭は両面に軽く塩胡椒して、バターを溶かしたフライパンで、身の
方から焼き付ける。裏返して焼き付けた後、野菜を載せて、
その上に、味噌大匙二杯半、酒大匙2,みりん大匙1,豆板醤を
小さじ一をよく混ぜ合わせた調味料を回し入れ、ふたをして
6~7分、中火で蒸し煮する。キャベツがしんなりした頃が
出来上がりの目安です。

豆板醤を入れないレシピが普通らしいけれど、我が家では
その他に、輪切りの赤トウガラシも少し入れます。
ピリッとした味が楽しめますので。以上、二人分の
鮭のちゃんちゃん焼きでした。お試しあれ。
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ちりめん山椒 [食文化]

「塔」八月号では、食を大切にされていた歌人・河野裕子氏に
ちなんで、「食べ物特集」が企画された。「河野裕子に食べさせて
もらった食べ物」「京都のおすすめの食べ物」などにまつわる
エッセイが並んだ。京都の食べ物というと思いつくものは多いが、
今回はちりめん山椒について書いてみたい。

相棒の古い友人で、数歳先輩であるF氏は関東出身だが、二十代後半に
京都に職を得て転居し、亡くなるまで京都に暮した。
才気煥発、自由闊達の人で、我が家にも良く泊まっていったが
(いきなり来る。夜中でも来て泊っていく!)夫人のYさんに
お会いしたことはなかった。かなり個性的な都会的な人とは
聞いていた。ちなみに彼女も、生まれも育ちも東京だった。

F氏は五十代も後半に入ってから離婚し、一回りも年下の
Rさんと再婚した。Rさんは生まれも育ちも北関東とのこと。
私は、Yさん同様、Rさんにもお会いしたことはない。
二人が再婚すると間もなく、F氏は
重い病気にかかり、何度も入退院を繰り返すことになった。

相棒が京都に用事が出来たついでにF氏に会ってくる、
と出かけた折。Rさんからお土産に頂いたのが、ちりめん山椒だった。
綺麗な和紙に包まれていて、なんと手作り、とのことだった。
その美味しかったこと! ちりめんじゃこは噛み応えがありながら
どこかふんわりとした柔らかな食感で深みのあるあじ。対して
山椒はあくまで突き刺すような鋭い辛み。その対照的な食感が
絶妙だった。私は以来京都に出かけるたびに、あちこちで
ちりめん山椒を購入するようになったのだが、Rさんの手作りほど
美味だったちりめん山椒に、まだ出会えていないのである。

最初の奥さんのYさんは、料理が大嫌い、と言ってたそうだが。
Rさんは逆に、とても家庭的な方だったのだろう。
そして元気なF氏と過せた時間の短かったことも痛ましく
思う。F氏は十年近い闘病生活の後、亡くなられたからである。
F氏とYさんの関係は決して険悪なものではなく、お互いに笑って
別れた、とも聞いている。でもその後まもなく、Rさんを伴侶と
されたことは、F氏にとってとても幸せなことだったにちがいなく。

でもRさんにとってはどうだったのだろう。全く未知の地で
看病に明け暮れる日々を過ごすことになってしまったが・・・。
あの美味だったちりめん山椒が舌によみがえる。京都という地に
溶け込もうと努力されていたのだろうと想像できる。
Rさんにとっても挑戦の日々、充実の日々だったのではないか。
そう思いたい。
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