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越後のお酒 [食文化]

「塔」十月号を読んでいたら、連載されている「私のコレクション」の
コラムに目が留まった。中野功一さんの「日本酒の歌③」である。
題名は「酒蔵と歴史」冒頭に吉川宏志主宰の作品が引かれている。

 くちゅくちゅと輪切りの海鼠噛みながら<吉之川>とう酒に親しむ
                   吉川宏志『海雨』

中野氏はこのお酒は新潟県長岡市にある蔵元のお酒<吉乃川>の
ことではないか、と説かれている。途端に、懐かしい記憶が蘇った。
子ども頃に住んでいた山形県南西部の町では、民放は新潟放送しか
受信できなかったのだが、このお酒のコマーシャルが頻繁に流れて
いたことを覚えているのである。実にシンプルなCMで、
  うまいお酒は吉乃川
という女性の声が聞こえてくるだけ。画面には勿論そのお酒の瓶が
写し出されていたはずだが(映像は全く記憶にない)。

大学卒業後、私は横浜市に入職したが、同僚に新潟県三島町出身の男性がいた。
三島町は長岡のすぐ近くで、私の父と同じ、長岡高校の卒業生だった。
彼が「断然うまい酒だから」と紹介してくれたのが「朝日山」。
一度職場の懇親会の時に「朝日山」の一升瓶を持ち込んできて
皆にふるまってくれたこともあった。そう、コメどころである越後の
お酒はおいしいのである。

最近はどこの店にも置いてある「菊水」は、子供の頃ご近所だった
Mさんの奥さんの実家のお酒。菊水は全国展開していなかった頃は
実に美味なお酒だったのだけれど・・・。今は、ちょっと(モゴモゴ)。
どんな食べ物もそうだけれど、やはり製造された地域で、その風土や
気候そのものと共に味わう時、一番美味なものかもしれない。

ところで、私の祖母の実家・牧江家は糸魚川市奴奈川に蔵を構える
造り酒屋だった。屋号を泉屋といい、「玉ノ井」が主力商品だった。
だが、大正の前期に廃業してしまっている。長く続いた泉屋を潰したのは、
祖母の父、牧江敬六らしい。
祖母の曽祖父(靖齋)と祖母の祖父の弟(礼助)が糸魚川市の文人として
知られていたため、磯野繁雄著『小城下文人伝』に二人の業績に
ついての小文が載っているのだが、
礼助の項の末尾に、私の祖母の父・敬六についての記述もある。
 
 敬六は物にこだわらない磊落な人物だったが・・・花柳の巷や
 妾宅に放蕩を重ね、さしもの泉屋をそれから二十年足らずで
 没落させてしまった・・・。

「泉屋っていったら、大した蔵だったがのう」
生前の祖父の、やや皮肉に満ちた口調を思い出す。
玉ノ井はどんなお酒だったのだろう。残念なことだ。
ちなみに、父が亡くなった時、父の文箱に古い除籍簿を見つけたのだが、
敬六の子は長女の祖母の他に十人。だが、庶子(お妾さんの子?)
として、ほかに十人の子も載っていた。親族の話だと、敬六はすべての
子どもたちを分け隔てなく育て、高等教育も授けたという。
むむむ・・・。なんとも・・・。ほろ苦い話ではある。
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