折々の歌人・枡野浩一(続) [短歌]
このところ雑用が多くて、なかなか更新できないでいました。
愛読者の皆さん、すみません、って、そんな人いないか・・・。
枡野浩一さん、もう少し書いてみたいことがありました。
初めて「フリーライターをやめる50の方法」を、角川短歌で読んだ時、
なんだか「脱力系の人」「おふざけの人」もう少し、厳しく言うと
「短歌を(表現手段としてでなく)玩具のように思っちゃっている人」
というイメージがあったのですよね。まあ、私も(二十代とかじゃないが)
若かったし・・・・。なんでもありなんだとは、思いつつ、そちら側じゃ
やってけないな、と思ってしまっていた部分、確かにあった。
でも、今枡野さんの全短歌集を読み、さらに『かんたん短歌の作り方』
などの著作を読ませて頂くと、もう、「筋金入りの脱力系」(矛盾だ!)
みたいに思えてきた。そうだ、そういう方法を強く、まじめに考えて
いた人だったんだ、と思えたんでした。
異論は勿論沢山ある。たとえば、「比喩は恥ずかしい」とかいう
主張(感慨?)も、え、そう言っちゃっていいの?
文学にかかわる一切が、ある意味、比喩なのになあ、と反発したくなる。
とはいえ、枡野さんは沢山の歌人の作品も読まれていて、
他の方々にも「色々読む方がいい」と勧めておられる。
ご自分も、たぶん聞いたら「え?」って思えるような歌人の
影響を受けておられるのではないだろうか。
ギクシャクと向こうから来るひょろひょろはショーウインドーにうつった自分
枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』
この歌を読んだとき、すぐに思い出した歌。
雪降れるガラスの中よりうごききてわが頬冠りわれにちかづく
葛原妙子『葡萄木立』
愛読者の皆さん、すみません、って、そんな人いないか・・・。
枡野浩一さん、もう少し書いてみたいことがありました。
初めて「フリーライターをやめる50の方法」を、角川短歌で読んだ時、
なんだか「脱力系の人」「おふざけの人」もう少し、厳しく言うと
「短歌を(表現手段としてでなく)玩具のように思っちゃっている人」
というイメージがあったのですよね。まあ、私も(二十代とかじゃないが)
若かったし・・・・。なんでもありなんだとは、思いつつ、そちら側じゃ
やってけないな、と思ってしまっていた部分、確かにあった。
でも、今枡野さんの全短歌集を読み、さらに『かんたん短歌の作り方』
などの著作を読ませて頂くと、もう、「筋金入りの脱力系」(矛盾だ!)
みたいに思えてきた。そうだ、そういう方法を強く、まじめに考えて
いた人だったんだ、と思えたんでした。
異論は勿論沢山ある。たとえば、「比喩は恥ずかしい」とかいう
主張(感慨?)も、え、そう言っちゃっていいの?
文学にかかわる一切が、ある意味、比喩なのになあ、と反発したくなる。
とはいえ、枡野さんは沢山の歌人の作品も読まれていて、
他の方々にも「色々読む方がいい」と勧めておられる。
ご自分も、たぶん聞いたら「え?」って思えるような歌人の
影響を受けておられるのではないだろうか。
ギクシャクと向こうから来るひょろひょろはショーウインドーにうつった自分
枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』
この歌を読んだとき、すぐに思い出した歌。
雪降れるガラスの中よりうごききてわが頬冠りわれにちかづく
葛原妙子『葡萄木立』