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折々の作家・須賀敦子 [文学]

須賀敦子を私に勧めてくれたのは学生時代からの友人P。
二十年余り前で、須賀敦子が亡くなって間もなくの頃、
だったと思う。「もう読めなくなると思うと、少しずつ
惜しみながら味わっているの」と言っていた。それでまず、
図書館で探して手にしたのが『ユルスナールの靴』。
読んでみて、あまりピンとこなかった。それを彼女に告げると、
「ああ、あれはねえ、うん、あまり貴女に合わないかも」
と言い、他の書名をいくつか挙げてくれたのだった。

それを探して読み始めて、たちまち没頭していってしまう。
彼女が惹かれた理由がよくわかった。知性と感性とが
程よく綯い雑ざった緻密で、美しい文章。
イタリア人と結婚し、長くかの地で暮した人らしい、
歴史と文化とを生活の中で理解し、感得した者にしか
書けない、細やかな叙景描写。叙景描写とは、繊細な感性に
支えられて初めて形として立ち上がってくるものなのだと、
改めて思う。


 目のまえに、スポットライトで立体的に照らし出された
 フェニーチェ劇場の建物が、暗い夜の色を背に、ぽっかりと
 浮かんでいた。そして、建物を照らしている光のなかに
 一見して旅行者とわかる・・・男女の群れが、まるで英雄の
 帰還を待ちあぐむ群衆のように、広場とも言えない狭い空間の
 あちこち、・・・・うねりひびく音の波をそれぞれが胸に抱え
 こむようにして 地面に腰をおろしていた。あっと、思った
 つぎの瞬間、オーケストラの音を縫うようにして、澄んだ
 ソプラノが空を舞った。      須賀敦子『ヴェネツィアの宿』

ヨーロッパの小広場や、街角の雰囲気がありありと見えてくる。
次の『トリエステの坂道』に綴られる心情も、そこに至るまでの緻密な風景
描写があってこそ、鮮明に立ち上がってくる一節である。
 
 街にただようフレンチ・フライの匂いは、もうひとつ、私が
 トリエステに惹かれる理由に気づかせてくれた。サバのなかにも
 綿々と流れている異国性、或いは異文化の重層性。ユダヤ人を母として
 生れただけではなくて、サバはこのトリエステという、ウイーンと
 フィレンツェの文化が合流し、せめぎあう街に生きたのだった。
 ・・そして詩人は痛みと共にそれを知っていた。ふたつの世界に
 生きようとする者は、絶えず居心地の悪い思いにさいなまれる
 運命を逃れられないことを。
             須賀敦子『トリエステの坂道』
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