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少年少女世界文学全集 [文学]

米原万里さんの作品を続けて読んでいる。
依然も書いたように、彼女は1959年から64年にかけて、
小学校三年から中二にかけて、チェコスロバキアの
プラハにあるソビエト学校に学ぶ、という特異な
履歴の持ち主なのである。あの時代に、プラハ!
想像すると、かなり凄い!普通の日本人が社会主義国
どころか、ちょっとハワイに行く、ということすら、
難しかった時代である。

当時はソ連の上空を飛べなかったので、欧州へは必ず、
アンカレッジ経由。ハンブルグで乗り換え、パリまでは
プロペラ機、だったそうだ。そこまでなんと、22時間。
パリからさらにプラハまで、七時間もかかったという。

ソ連学校では、すべてロシア語で授業が行われ、
三、四カ月は、全く言葉のわからない教室で、
じっと時間に耐える、という苦痛を味わい・・・。

私もアメリカに行きたての頃は全く、言葉が聴こえず、
話せず、辛い時間を過ごした経験があるので、
よくわかる。いや、わずか9歳の子供にとっては、
その苦痛はもっともっと、耐えがたいものだったはず。

彼女はその後、夏のキャンプで素晴らしい友人に恵まれ、
ロシア語は長足の上達を遂げるのだけれども。

一方、日本語を読む力もきっちりと保ち続けていた。
それを支えたのが、プラハの家に船便で送られた
講談社・少年少女世界文学全集だったそうだ。

 今でも目を瞑ると、プラハの自宅の本棚に並ぶ
 小豆色の背表紙に目が届くような気がする。・・・
 『少年少女世界文学全集』全50巻・・・。この物語上手な
 先生は、多様な語彙と文系と文体に、面白く自然な形で、
 数限りなく出会う機会を与えてくれた・・・・・。
             米原万里『ガサネッタ&シモネッタ』

ああ、とすぐに思い出す。近所に住んでいたMちゃんの家の、
ガラスの扉のついた本棚の中に、この全集が整然と並んでいたことを。
表紙は美しい紅色、背表紙の部分はくすんだ小豆色をしていた。
私がひどく羨ましがって、じっと見ていても、彼女は一度も
本を読ませてくれる事はなかった。Mちゃんも二つ年上のお姉さんの
Yちゃんも、読書には全く興味がなく、ただ居間の飾りとして
置かれているのだ、と、子供心に気がついていて、飾りだからこそ、
汚してはいけなかったんだろう、とも思いながら、
子供心に、不合理なもんだ、とも感じていた。

あの全集には『王子と乞食』『ロビンソン漂流記』『若草物語』
『アンデルセン童話集』『シェークスピア物語』などなど、
読んでみたい本が目白押しだったのに・・・。

米原さんの両親は、遠い異国で二人の娘に、ロシア語で
教育を受ける、という試練を課す傍ら、こんな甘い
贈り物を授けたんだった。彼女は帰国までの間に、すでに
全巻を20回以上も読み、読みつくし、それでも未練があったものの、
次にプラハを訪れる日本人の子供のために、譲り置いてきた、という。
Mちゃんの家の居間で、誰からも手触られることさえなく、
ひっそりと孤独に耐えていたあの全集に比べて、なんと
幸せな本たちなのだろう。
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木の香り・夢の歌 [短歌]

夢がそのまま歌になったら、すてきだな、って考えたことがある。
かなり虫のいい話だが。そして、夢を見ながら、ああ、これ、
きっといい歌になる・・・。と考えていて、実際夢の中で
歌に詠んでいたこともある。覚えていなくちゃ、こんな良い歌
なんだから、忘れちゃったら損だ。きっと覚えているぞ、いや、
今起き上がって、メモしといた方が良いかな、これ、夢に
決まっているんだから・・・。とか、そこまで考えていたこともある。

でも、朝になったら、「あ、夢の中で確かに歌、詠んでいた」
と覚えているのに、もう、まったく思い出せない。どんな夢だったか、
漠然としか思い出せないことさえ多い。まったく、損した。
と、一人で嘆いていたりすることも多いのだけれど。

今年の一月三日の夜に見た夢の場合は、奇跡的だった。
夢の中で歌を詠むことこそしなかったけれど、目が覚めたとき、
見ていた夢の場面がありありと浮かんできて、もう、ああ、
これこそ歌に詠まなくちゃ、と思い、そうしてできたんだから!

夢の内容というのは、こうである。
私が月に三四回でかけているアトリエは、なだらかな丘の上にある。
夢の中で、いつものようにそのアトリエに行くと、これまで
見かけたことのない人が何人か、すでに作業している。
彼らは、絵を描いているのではなく、大きな丸太を削っているのだった。

アトリエの中は、新しい木の匂いでいっぱいなのだった。
驚いていると、先生が「今度から、版画家さんも加わることに
なったのですよ」と仰るではないか。そうかあ、それはまた、
面白いことになるなあ、と期待している私。

それで目覚めてから作った歌が

  版画家も加わりてより鮮しき木の香ただよう丘のアトリエ
                   岡部史

メールで行っている歌会にこの作品を出詠すると、
版画を習っていたことがある、という方がおられて、
「版木の種類によって、匂いが異なっていて・・・」と
丁寧な解説をしてくれて、恐縮してしまった。
夢の歌、これからも作れたらいいな。
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新型肺炎・続 [生活]

新型コロナウイルスによる感染が止まらない。
日本や韓国より、今は欧米諸国でその被害が深刻の様だ。
なぜなのか。生活習慣の違いも大きいかな、と思う。
握手や頬ずり、肩を抱きあう、など彼らのあいさつは、
アジア人に比べると、かなり濃い身体的接触を伴う。

さらに主食がパンってことも、一つあるかもしれない。
手を洗わずに食卓に向かい、そのまま
パンを素手に持って、ちぎりながら食べる。
日本のように、おしぼりが出てくることもなく・・・。
この状況下では、かなり見直されていると思うけれども。

ところで、毎日発表される、日本国内の感染者数は、
都道府県別になっていて、まだ八県、感染の確認されていない
県がある。毎回、これを見るたびに、相棒が
「凄いなあ、山形県! 依然ゼロだよ!」と叫ぶ。
私が子供の頃、山形県に住んでいたので、いつも
「山形ネタ」を楽しみ、私を軽くなぶるのである(やれやれ)。

「冬に行けるような観光地って、少ないでしょ。雪も今年は
少なかったから、スキー客もいなかっただろうし。だいたい、
県民もあちこち動き回るような、活発な人いないんじゃない?」
(偏見だらけだ、と思つつ「ハイハイ」と返事しておく)。

「それとさあ、山形の人の、飛沫の飛びにくい喋り方が、
功を奏しているかもね。ほら、二文字ずつで意思疎通が図れた、
って、驚きの会話があったじゃない」

彼が言っているのは、つぎのようなものである。
「どさ?」
「ゆさ」

翻訳すると
「どこに行くの?」
「銭湯だよ」
となる。へええ、そうか、そういう最短の例もあったか、
と、私自身驚いたんだけれど。
何を言っても
「ンだ」
だけで通す人もいたかも。イントネーションは変わる。
「ンだ[右斜め下]
だと、肯定。
「ンだ[右斜め上]
だと、疑問(もしくは否定。あるいは否定的疑問。なぜか、
肯定的疑問というのは含まれないみたいだ)。

今は少し変わってるかもよ。
飛沫の飛散は、依然として少ない喋り方かもしれないが。
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ワープロ・ルポ [生活]

東芝のワープロ、ルポを購入したのは1998年頃だったと
記憶する。この時がルポの二台目、メールが使えるタイプと知って、
改めて購入して、電話のジャックを引き抜き、ルポを繋いで使っていた。
わが家にはほかにADSLで通信可能なPCもあったのだけれど、
ルポは私専用。初めて塔短歌会のe歌会に参加したのも、
このルポを使って、だった。もうなんかすごい昔のことのよう。
なつかしい。

その後、私専用のノートを購入し、そちらを中心に使用するように
なり、ルポでメールをすることもなくなったのだが。
ルポはもっぱら、印刷用に使っていた。ちょこちょこ、と
文字を入力して、そのまま印刷もできるワープロは、何かと便利
だったからである。ワープロの生産が中止になる、と知ったとき、
印刷用のリボンを大量に購入しておいた。

私は「塔短歌会」の編集委員をしていて、一首評という欄の
執筆者依頼を担当しているのだが、その依頼文はすべて、
ワープロを使って、印刷してきた。文字が読みやすく、印字も
綺麗なので、依頼を受けた方の中にはお気づきの方もおられたかも。

十年くらい前から、文章を記憶させることができなくなり、
その度に打ち込む、という手間がかかったけれど。
何しろ、結構高かったインクリボンがまだたくさん残っていて。
もったいないもんだから、使い続けてきた。

だいたい、半年分くらいずつまとめて印刷してきたのだが、
この度、ストックが減ってきたので、ルポを取り出して、
通電してみると、見事に液晶がオシャカになっていた。

それもそうだ、よく二十年以上も持ちこたえてくれたもんだ。
ありがとう、ルポよ。と、ちょっとウルウル。
深く謝して、別れることとしよう。
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折々の作家・米原万里 [文学]

この作家の作品を読んでいたのは、実は十年近く前。
痛快な文章を書く人だなあ、と何冊か貪るように読んで・・。
もう少し続けて読みたい、と思いながら、そのまま
ずっと今日に至っていた、という感じ。
今回、初めて手にとったのが『オリガ・モリソヴナの反語法』。
この本を読みたいと思ったきっかけは、ちょっと可笑しい。
このところのコロナウイルス騒ぎで、どこにも行けず。
歌会やらちょっとしたイベントが次々に中止になり。
家で、絵を描くくらいしかすることがなくなったのだが。

人間の体を描くことに最近凝り出し、バレリーナなら
裸ではないが体の線がかなり見えるから、バレエの本に載っている
写真を参考にしよう。とバレエの本をめくるうちに・・・。
(ちなみに私の最初の翻訳書は『はだしのバレリーナ』で、
バレエ関係の本はかなり持っているのです)
この『オリガ・・』について紹介している下りに出会い、
あ、そうだ、この本、読もうと思っていた時期があった。
とばかり、飛びついたのでした(ここまでが長いよね)。

読みだしたらもう夢中。コロナウイルスもイラスト描きも、もう頭から
すっ飛んでしまった。凄いなあ、こんな文章が書けるなんて。
いや、設定が凄い。だって、あの暗黒のスターリン体制下の
ソ連。そこでどんなことが行われていたのか。日本人は
薄々は知っているが、こんなに強烈なリアリズムをもって
迫ってくる文章に出会った事はなかった。
1950年代末から六十年代にかけて、プラハのソビエト学校で
学んでいたという経験が何といっても大きいのだろう。
主人公の志摩という女性が、そのまま米原氏、のようにも
読めてしまい。う~ん、だいぶ感情移入してしまいました。

藻刈富代には、笑える。かのバレリーナにそっくりの名前。
もしかして、本当なのかな。だいぶ皮肉っているけれど。
というわけで、バレエを愛する人、ソ連に興味がある人、
その他大勢の皆様にお勧めいたします。
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折々の作家・クリスティ [文学]

クリスティの作品を初めて読んだのは、小学校五年生くらい、
だったのではないか。たぶん『ABC事件』だったと思うのだが、
その本の表紙を思い浮かべようとすると、飛行機の絵が思い浮かぶ。
なぜなんだろう。違う作品の方が先だったか、とも思うが。

たぶん、最初に心に残ったのが『ABC‥』だったからだろう。
『アクロイド殺し』、『そして誰もいなくなった』
『スタイルズ荘の怪事件』『オリエント急行殺人事件』・・
このあたりの作品を、私は高校生から二十代にかけて、
少しずつ、読み進めてきた気がする。特に好きな作家、
と言う訳でもなかった気がするのだが。

それが、「これは凄い、さすが、ミステリの女王!」
と息を呑むほどの打撃を受けたのがなんと
『春にして君を離れ』という、なんともクリスティらしからぬ
題の作品だった。これは邦題もよくないと思う。原題は
「Absent in spring」とかいう題だったように記憶する。

とにかく、いわゆるミステリではない。クリスティ自身も
そのあたりを慮ってか、作者名をメアリ・ウエストマコット
という別名で発表しているのである。

この作品は、ほぼ全体が一人の女性の独白のみ、からなる。
それでいて、読者を全く飽きさせない。たった一つの出来事から、
次々に過去を回想し、現在を思い、さらにさらに、これまで
見えていたものの反転させ、異なる側面からの真理に
思いを巡らしていく。その的確な事象分析、自己分析は
読者をも巻き込んで、ち密にかつスリリングに進むのだ。

読後の充実感は、他のクリスティの小説のどれにも勝るもので、
その筆力の巧みさに、まったく圧倒される気がしたことを覚えている。
この書を、クリスティのもっともすぐれた一冊と挙げる、
「クリスティ愛読者」はきっと多いはずである。

メアリ・ウエストマコット名で出された作品は
他に五冊あり、クリスティの「愛の小説六部作」などと
ひとくくりして評されることもあるようだが。

やはり『春にして‥』が抜群の完成度を誇っていると、私は
思う。そしてこの書を読んでから初めて、クリスティの本質が
顕著に見えてきたような気がしたことも確かである。

クリスティが世に出した小説は100以上に上るという。
私はその三分の一ほどしか読み終えていない。
また、どんな作品に出会えるのかと思うとわくわくする。
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