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最近の街角での歌 [短歌]

先日こちらのブログで書いた、爆走三日間の中日に行われた横浜歌会。
なかなか自分の歌がまとめられず、苦慮の末に出したのだったが、その二首の
うちの一首

 朝(あした)には「あったか~い」を真昼間は「つめた~い」を押す初冬 街にて
                             岡部史

この作品は、結句に不満があり、いろいろと考えていたんだけれど、今一つ
思いつけないまま、詠草取りまとめのSさん宛に送っていたところだった。
Sさんが当日は欠席することになり、歌会の前日に、参加者の詠草データを
私の方に送ってくれた。その時点で、もう少しましな結句が思い浮かんだのだが。
訂正するのを忘れ、そのままコピーしてしまったので、「ま、いいか。Sさんが
出席してくれたのなら、このままのはずだったんだし・・・」と思い直す。

歌会では、やはり、私が気になっていたところをズバリ指摘された。
「初冬 街にて。 これじゃあ、ダメでしょ」みたいな(ダメ、っていう
直接的な言葉ではなかったようだが、そういう気配ムンムンで。そう、
たいてい、迷ったところが鋭く批判されるものなんだ。)

「まあ、『押す』という一言で、自販機の歌だって、わかるところが
面白いともいえるけれど」とも指摘して頂けてうれしかったけれど。
私の隣の席に座っていた、私よりやや年長のかたが、「自販機」という
言葉に、「あ、そういうことか~」と小さく呟いておられた。
確かに、自販機を使わない人には伝わらない歌になってしまっている。
このあたり、説明がなく極端に短い詩形は、難しいところなんだった。

さらに、私の作品にコメント下さった方は、鋭い突っ込みをされていた。
「朝から真昼まで、街に居たってことかな。そういうことも不自然な感じ」
と。ああ、そういわれるとそうかもね、と思う。私がこの作品を詠んだのは、
旅行中だったからで、実際、街なかのホテルに泊まっていたから、生まれた
歌だったんだ。そういう背景を知らないと、不自然な歌に思えるんだ、と
気が付いたのである。

短歌を詠むっていうことの怖さ、面白さをあらためて思った。
読み手は、あらゆる経験と勘を駆使し、たった31文字から、作者の
詠まんとするところを鋭く探ってくる、ベテランの刑事のような存在で。
詠み手は、簡単には読み解かれたくない(見つけられたくない)。
でも、時間はかかっても、きちんと見つけてほしい(理解してほしい)。
まるで、かくれんぼをしているようなものなんだった。
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