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魚肉ソーセージ [食文化]

学齢前、我が家にまだテレビが入っていなかった頃、ラジオから
こんなコマーシャルソングが流れていたことを覚えている。

 パパのお土産 ソーセージ あけてうれしい ソーセージ

ソーセージといえば、今は、豚などの挽肉にスパイスを加え、
腸詰にして作られる肉製品を思い浮かべる人がほとんどだろう。
でも、CMソングはこんな風に続く。

 うちじゅうそろって 晩御飯 猫も坊やもニコニコ にゃお

そう、猫も喜ぶ、魚肉ソーセージの方が一般的だったのだ。安くタンパク質が
摂取できる、庶民の味方である。でも私には、悲しい記憶がある食べ物だ。

小学校一年生の晩秋。11月の末の木曜日だったことを覚えている。
その日は、突然給食がお休みになり、母が慌ててお弁当を作ってくれた。
家にある魚肉ソーセージと野菜を炒めて。私にはこのソーセージ、
結構お気に入りの食べ物だった。当時の子供は大半そうだっただろう。

ところが、その日はなぜか、お弁当箱から漏れてくるこのソーセージの匂いが
気になった。気にし始めると、胃の当たりがむかむかするようだった。
それから気がついたのだが、身体がやけに重い。授業が始まっても、
まっすぐ椅子に腰かけていられないくらい。机の蓋を開けるたび、そこに
収めてあるお弁当に匂いがする。炒めたソーセージの匂いである。
嗅ぐたびに気持ちが悪くなって、ほとんど胃の中のものを戻しそうだった。

二時間目が始まって間もなくだったと思う。担任の先生、私の大好きな
倭子先生が、急に私の方をじっと見て、こういったのである。
「史さん、今日はもう、お家へ帰りなさい」
びっくりし、でもとても有難い提案だった。私はすぐにそそくさと帰宅した。

母は私の顔を見た途端、病院へ連れて行ってくれた。
七歳にして、私の血圧は160近くもあり、腎炎と判断された。
私はそれから二カ月、塩分を断って、安静に過ごすことを命じられたのだ。
学校と言う場所は苦痛でしかなかった私にとって、ほとんど小躍りしたく
なるようなできごとだった。毎日、図書館から借りてもらった本を読み、
読み疲れると、ぼんやりと空想に耽って過ごして、私は少しも退屈ではなかった。
でも、二カ月も塩分を断って寝転がっているということは、身体の成長にとり、
大きなマイナスだった、と今にして思う。今なら異なる治療法を取ったはずである。

先日、相棒が出かけたついでに魚肉ソーセージを買ってきた。
朝、一人で食べている。「美味しい?」と訊くと
「別に。ちょっと食べてみるのもいいかな、と思って」
子供の頃に食べたことが懐かしくて、食べたくなったらしい。
私だって、この食べ物にはいろいろ思い出がある、嫌な思い出ばかりではなく。
でも、なぜか買えない。これからも、きっと買わない。
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