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トモ子ちゃん [読書]

小学校に入学した頃、我が家に、一年に一、二度「好きな本を
購入していい日」ができた。当時の我が家では、一年に最低二度は
遠出をしていた。春休みは母の実家のある、山形市近くの中都市へ。
夏は父の実家のある新潟県西部の中都市へ。その途中、山形市と
新潟市で途中下車することが多く、駅の近くの書店で、
「一冊選びなさい」と言ってもらえるのだった。
当時の私にとって、最大のイベント、ともいえる時間だった。

多くの読みたい本、の中から、たった一冊だけ。しかもだらだら
していると、両親は不機嫌になってしまう。「早くしなさい。
置いていくよ」あるいは、「もう、次にしなさい」と言われかねない。

読みたい傾向の本、は必ずあった。しかし・・。「なんでもいい」とは
言われながらも、決して「どんな本を買ってもいい」という意味では
ないことを、幼いながらに感じていた。両親が「それならいい」という
範囲での「読みたい本」「買いたい本」なのである。

小学校二年生の時だった。母の実家へ行くときは父は来ないのが
普通だったが、その時は両親一緒だったので、たぶん新潟での
ことだったろう。書店内で「さあ、選びなさい」と言われて、私は
これまでよりかなり迷っていた。父がシェークスピアの『ベニスの
商人』を手にとって、「これはどうかな。面白いんじゃない?」と
言うので、よけいに迷っていた。小二の子に、シェークスピアって、
どうなの? って今も思う。

その時母が、商品棚の少し上の方に目をやって、
「あら、トモ子ちゃん、なんて本があるのね」と言ったのだ。
小二の子どもの視線からは目につきにくい位置にあった、
という記憶がある。私はすぐにその本を書棚からおろしてもらい、
表紙を見た途端に、「これにする!」と叫んだのだった。

淡いピンクサーモンのハードカバー。大きさはA5判。
松島トモ子が、バレエのチュチュを着て、ポーズを取っている
写真が載っている。これはなんと、松島トモ子の自伝的な本だった。
私より数歳上でしかないのに!
トモ子ちゃんは、当時の少女向け漫画雑誌のグラビアを
たびたび飾っていて、私にとっても憧れの一人だった。

両親は「もう時間がないし、仕方ない」と、渋々買ってくれた。
でも母があの時、私には目に届かない位置にあったあの本の
存在を教えてくれた、ということが今も不思議な気持ちがする。

この本には、トモ子ちゃんが満州の奉天で生まれ(私はこの時に、
初めて満州や奉天などの地名と漢字の読み方を知った)、引き揚げを体験し、
バレエを習い始め、人気者に育っていく経過が、写真と文章でつづられている。

私は何度繰り返し読んだだろう。表紙の見返しにはバレエの
基本的ポーズを取るトモ子ちゃんの写真が幾つか収められていたので、
これを参考に、母の鏡台の前で、こっそり何度も練習した記憶もある。

この本はまた、ほかの面でも大活躍してくれた。母は私が少女雑誌に
興味を持つ事を極端に嫌っていたので、なかなか買ってもらえなかった。
それで、近所の同世代の子に、見せてもらうことになるのだが。
子どもはそれなりに計算高く、「じゃ、代わりに何か見せて」とくる。
その時に、『トモ子ちゃん』が活躍してくれたのである。

近所には同世代の女の子が七、八人いたので、数カ月分の
少女雑誌を『トモ子ちゃん』一冊で賄うことができたのである。
なかには「あの本、見せて」と言って、わざわざ新刊の雑誌を
持ってきてくれる子までいた!

『トモ子ちゃん』は汚れてよれよれになり、それでも従妹のところへ
もらわれていった。いったいどこの出版社から出ていたのか。
ずっと気になっていて、ふっと思いつき、ネットで調べてみたが、
何処にも載っていない。確かにあったのに、その形跡を追えなかった。

それにしても、あの本に熱狂していたのは、ほんの一、二年のこと
だったのだ、と気がつく。子供の時間の密度の濃さを今更ながら思う。
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