クラシックを聴く(その2) [藝術]
小さなプレーヤーしかなかったわが家に
ステレオが登場したのは小学校中学年の頃だったと思う。
同時に数枚のLPレコードも父が買ってくれたのだが。
その一枚は「白鳥の湖」で、あとは・・・。
なんと思い出せないのだった。それくらい、余り聴かなかった。
思えば、当時の周囲にはクラシックを日常的に聴いている、
というような友人もいなかったし、家族も音楽好きとは言えず。
高校入学と同時に上京すると、さすがに東京の高校生。
クラシック好きはクラスに結構いて、音楽鑑賞部もあった。
クラシックへの憧れはあるにはあったが・・・。
さて、うっとりと聴いている人たちは、どう聴いているんだろう、
という疑問があった。たとえば、ベートーベンの「運命」とか
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番みたいに、冒頭が
凄く印象的な曲は、すぐに引き込まれるのだが・・・、
その部分を過ぎると、たちまち気持ちがそれていってしまう。
どうものめりこめない。そもそも、音楽を聴くという感性に、
欠けているんだ、という自覚ができてきた。まあ、自分自身、
耳が良くないということは気付いていたので、当然と言えば当然。
あれ、こんなに楽しいのか、と思える古典音楽との
最初の出会いは、ポップスに使われていたある曲だった。(続く)
ステレオが登場したのは小学校中学年の頃だったと思う。
同時に数枚のLPレコードも父が買ってくれたのだが。
その一枚は「白鳥の湖」で、あとは・・・。
なんと思い出せないのだった。それくらい、余り聴かなかった。
思えば、当時の周囲にはクラシックを日常的に聴いている、
というような友人もいなかったし、家族も音楽好きとは言えず。
高校入学と同時に上京すると、さすがに東京の高校生。
クラシック好きはクラスに結構いて、音楽鑑賞部もあった。
クラシックへの憧れはあるにはあったが・・・。
さて、うっとりと聴いている人たちは、どう聴いているんだろう、
という疑問があった。たとえば、ベートーベンの「運命」とか
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番みたいに、冒頭が
凄く印象的な曲は、すぐに引き込まれるのだが・・・、
その部分を過ぎると、たちまち気持ちがそれていってしまう。
どうものめりこめない。そもそも、音楽を聴くという感性に、
欠けているんだ、という自覚ができてきた。まあ、自分自身、
耳が良くないということは気付いていたので、当然と言えば当然。
あれ、こんなに楽しいのか、と思える古典音楽との
最初の出会いは、ポップスに使われていたある曲だった。(続く)
2019-10-31 09:32
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