岩城けい・続の続 [文学]
岩城けいの実質的第二作『Masato』は、前作と打って変わって、
十一歳の男の子の一人称による物語。場所は同じくオーストラリア、
彼は会社勤めで転勤を命じられた父に従い、母と十五歳の姉と
柴犬チロと共に、移住してきた。その一か月後、転校生のお別れ
パーティのお知らせプリントの指示通り、「お皿を一枚」
携えて登校する場面から始まる。母親が言う。
「面白いわね、こちらの学校は。パーティにお皿を持ってこいなんて」
ああ、だれも教えてあげなかったのだろうか。実は教えていたのに、彼に
理解できなかっただけなのだろうか。これは、「何か料理を一品」という
意味なのに・・・。
早速、いじめの標的になり、苦痛を味わる真人(まさと)。読者は
岩城けいの作りだす世界へ、一気に引きずり込まれていく。
まさに波乱含みの展開なのだが、読者は彼が、苦難を味わいながらも、
オーストラリアで生きていくだろう、と推測している。それはこの本の
題名による。どのように乗り越えていくのか。
作者は読者の期待を裏切らず、真人に様々な苦難と困難を負わせる。
同時にオーストラリアという広大な地の
魅力をたっぷり伝えながら、かれを成長させていくのである。
前作の『さようなら、オレンジ』は太宰治賞、大江健三郎賞を受賞、
だが本作は坪田譲治文学賞を受賞している。一種の児童書とも読める。
そうした読みやすさ、わかりやすさを備えながら、文章は密度濃く、
スピード感にも溢れていて、私個人としては前作よりはるかに面白く読めた。
大人と子供の違い、11歳と15歳の違い、父親と母親の違い、いずれもが
きわやかに描かれる。誰かが間違っているのではなく、
それぞれの違いの幅が、異常に増幅されるのが、異文化社会なのである。
あまりにも身近な存在であるがゆえに、言葉も共通するがために、
互いの意思疎通ができない、と言うことも起こりうる。
そういうところまで、きっちり描かれていて読み応えがあった。
次回は、最新作『Matt』について触れることにする。
十一歳の男の子の一人称による物語。場所は同じくオーストラリア、
彼は会社勤めで転勤を命じられた父に従い、母と十五歳の姉と
柴犬チロと共に、移住してきた。その一か月後、転校生のお別れ
パーティのお知らせプリントの指示通り、「お皿を一枚」
携えて登校する場面から始まる。母親が言う。
「面白いわね、こちらの学校は。パーティにお皿を持ってこいなんて」
ああ、だれも教えてあげなかったのだろうか。実は教えていたのに、彼に
理解できなかっただけなのだろうか。これは、「何か料理を一品」という
意味なのに・・・。
早速、いじめの標的になり、苦痛を味わる真人(まさと)。読者は
岩城けいの作りだす世界へ、一気に引きずり込まれていく。
まさに波乱含みの展開なのだが、読者は彼が、苦難を味わいながらも、
オーストラリアで生きていくだろう、と推測している。それはこの本の
題名による。どのように乗り越えていくのか。
作者は読者の期待を裏切らず、真人に様々な苦難と困難を負わせる。
同時にオーストラリアという広大な地の
魅力をたっぷり伝えながら、かれを成長させていくのである。
前作の『さようなら、オレンジ』は太宰治賞、大江健三郎賞を受賞、
だが本作は坪田譲治文学賞を受賞している。一種の児童書とも読める。
そうした読みやすさ、わかりやすさを備えながら、文章は密度濃く、
スピード感にも溢れていて、私個人としては前作よりはるかに面白く読めた。
大人と子供の違い、11歳と15歳の違い、父親と母親の違い、いずれもが
きわやかに描かれる。誰かが間違っているのではなく、
それぞれの違いの幅が、異常に増幅されるのが、異文化社会なのである。
あまりにも身近な存在であるがゆえに、言葉も共通するがために、
互いの意思疎通ができない、と言うことも起こりうる。
そういうところまで、きっちり描かれていて読み応えがあった。
次回は、最新作『Matt』について触れることにする。
2018-10-22 09:37
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