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ノリタケ [生活]

ずっと以前、初めてグアムに行ったときのこと。
ホテルの近くのショッピングセンターの中に、
西洋陶器のお店が入っていた。
その形も色彩も、なんと美しかったことだろう。
たちまち幻想の世界に入り込んだ様にうっとりとしたことが記憶にある。
私は、ブランド物にはあまり興味がなく来ていて、
その陶器がどこの会社のものだったのか、もう忘れてしまったのだけれども。

小学校三年生くらいのときだったと思う。
母が急に「ノリタケの食器を買う」と叫び出した。当時、我が家の
経済事情はさほど良くなかったのではないか、と思えるのだけれど。
母は決めたら早い。

カタログを取り寄せ、素早く好みのデザインを選んで、
あっという間に購入を決めてしまったのだ。
やがて、大きな段ボールに入って届いたのは、
ティーセットを含めて、スープ皿、パン皿など十種類くらいの組み物の陶器だった。
薄紫の細かい花模様がついていて、母はしばらく
うっとりとしながら、それでも日常にこの組み陶器を使い始めた。

そうなると、どうしても、縁が欠けたりするものが出てくるのだが・・・。
組み物を半端物にした、一番の責任は私にありそうだ。

小学校卒業の時、クラスの女子だけでお別れお茶会を
することに決まった。ちょっとおしゃれなお菓子と紅茶で。
場所は学校の教室を借りることになり、カップは持参ということに。

そのとき、母がこのノリタケの茶碗と受け皿を一つずつ貸してくれたのだ。
私は嫌な予感がした。けれど、母が大切にしている
ノリタケを貸してもらえるのが、ちょっと嬉しく、言い出せなかった。

案の条、このお茶碗は粉々になった。
お茶会の途中で、元気なSさんが、掃除用のモップを振り回し、
私のお茶碗を机の上から叩き落としてしまったからである。
彼女だけを責められない。机の端側に置いた私も悪いのである。
でも、一言も謝罪を口にしなかった彼女に対して、複雑な気持ちだった。

帰宅して、こわごわ、このことを告げると、母は不機嫌になり、
やはり、叱られた記憶がある。
私は、大切な茶碗をどうして学校でやるお茶会なんかに
貸してもらえたのか、そのことがずっと不思議だった。

でも、今思うと、少しずつ縁の欠け始めるものもあらわれた時点で、
母は、組み物が重荷になっていたのではないか、という気もするのである。
我が家の経済事情が良くなり、マイセンとまではいかないものの、
国産の陶器セットくらいなら、
さほど躊躇なく購入できる段階になったのに、母は全く、組み物を欲しがらなくなった。

最近、しきりにそんなことを思い出す。
ノリタケの組み物に入れ込んでいた日の、母の若さを思うのである。

  組物の陶器いちまいづづ欠けて妻(め)となり十年こはいものなし    栗木京子『綺羅』

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