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地域差・性差 [言葉]

朝日新聞土曜版「be」には、毎週「いわせてもらお」という
読者投稿欄がある。日常のちょっとしたユーモラスな出来事を
読者が拾い上げて、七、八十字ほどにまとめた文章が、毎週
五人分くらいずつ掲載される。昨土曜日は、洗濯したはずの自分の
パンツが見当たらないと気づいた五十代の母親、帰宅した高校生の
息子に「体操着の長袖に詰まっていた」と渡されて、おたおたする話。

どれも面白くて、毎週楽しみなのだが、ある時、投稿者のほとんどが
西日本に偏っているのに気がついた。昨日も、大阪府、東京都、
大阪府、香川県、京都府、だった。北海道とか東北からの投稿を
ほとんど見たことがない。北陸も滅多に登場しないのだった。
北の地方の人は、ユーモア感覚に欠けるのだろうか。真面目だもんな。

新聞の歌壇や俳壇となると、俄然東北地方の人も増えるので、購読者が
偏っているわけではないだろう。ちなみにこうした文芸欄への投稿者に
男女の差も少なさそうである。唯一の例外は川柳欄だろう。
こちらは圧倒的に男性が多いのである。世の中をチクリ、と皮肉るのは
女性よりも男性の方がうまいんだろうか。

ところがところが・・・。先週金曜日の川柳の欄は、なんと、名前から
見る限り、全員が女性で占められていた。あれれ、女性限定の日?
とあらためて見るが、そういう規定はどこにも書いていない。
どうしたんだろう、と不思議に思っていると、翌日の川柳欄に

  選者どの どうかされたか みな女性  岩井三彌子

という一句が目に留まった。みんな、驚いたんだね。
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カタクリの花 [言葉]

私の住む東京多摩近郊には、つい三、四十年位前まで
カタクリの自生する野辺があったそうである。自然をこよなく
愛する私の義弟が、保護活動を行っていると聞いていたが、
その後、やはり保護地区ができ、その地区内でのみの自生が
確認されるのみとなったらしい。宅地化が急速に進んだからだろう。

カタクリは、万葉集にも登場する古来からある植物なのだが、
古名を堅香子(カタカゴ)という。

  もののふの八十乙女らがくみまがふ寺井の上の堅香子の花
                 大伴家持(巻19-4143)

家持が越中守として赴任していた国府庁(現在の富山県高岡市)
近くの赤坂谷の泉のほとりで詠まれたとされている歌。
この頃は、きっと美しい紫色のカタクリの花が、蝶のように
花びらを震わせながら、群れをなして咲いていたことだろう。
水を汲む乙女たちに、カタクリの花の群れをダブらせているところが、
ちょっと、無理があるかな、とも思えるのだが。これも短歌的誇張?

ところで、現在はすっかりカタクリ、の呼び名に切り替わっている
かつてのカタカゴ。先日いつものように山形新聞電子版を読んでいたら
今も「カタカゴ」と呼んでいる地域があるとのコラムが目に留まった。
ああ、なんとなんと、私が子供の頃に暮していた山形県南西部の
小国町! でした。ええ、そうなのかあ、と驚く。山形新聞の記者が
驚いて記しているのだから、おそらく山形県内でもこの古名を用いて
いる地域はほとんどない、ということだろう。

子供の頃、そのカタカゴの花を見た事はなかった。その名も知らず
暮してきた。なんとも、もったいないことだった。

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漢字のちから [言葉]

私が所属している「塔短歌会」。入会して今年で、なんと!
四十年にもなるのだが、二十余年前に、当時会員だったY・Kさんという
若い女性に促され、相模原市の公的施設を利用して、「塔」の東京西部
地区の会員向けの支部歌会を新設することになった。
現在月一度行っている「横浜歌会」の前身である。

K・Kさんは、その支部歌会の初期の頃に「塔」に入会され、お住まいが
近かったので、同時にその相模原での歌会に参加、以来、ずっと
一緒に横浜歌会に参加している、一番古い仲間である。

K・Kさんは、幼児期から目に障害をもたれていて、現在は強度の
弱視、さらに失明の危険と戦い続けておられる。現在は片方の目に
ほんの少し視力が残っている状態で、拡大読書器持参で、歌会に
ほぼ毎月参加されている。

普段「言葉がなかなか頭に入ってこない」と嘆いておられるので、
ある時「朗読を聞いてみるのはどうかしら。小説を朗読した
テープの類、結構出ているよね」と言ったところ
「う~ん、それもいいんだけれど・・・」と言葉を濁らせた後、
「わたし、漢字が読みたい!」と、きっぱりと仰られた。ああ、
そうだよなあ、きっと私も耳からの「ことば」だけだったら、
どんなにもどかしく感じることか、と思いった。安易に「朗読を」
などと口にしたことを恥じたのだった。

昨日はその横浜歌会があり、ある方の作品に「老女医」という
ことばが登場しているのを、拡大器を通して見たK・Kさんが、
「漢字ってすごいわよね。この三つの文字だけに、凄い情報が
詰まっていて、だいたいどんな様子の人物かすぐに想像できるなんて・・」
と驚きの声をあげていたのが印象的だった。

最近、私も驚くことがあった。2月25日(土)の朝日新聞朝刊の書評欄を
読んでいたら、「著者に会いたい」というコーナーに、『呪物蒐集録』を
刊行された怪談・呪物収集家という肩書をもつ田中俊行氏が紹介されて
いたのだが、その記事のなかに、

 呪うは、ネガティブな意味で「のろう」、ポジティブな意味で
「まじなう」とも読む。

と記されていたからである。同じ文字で、相反する意味を含むルビをふり、
使い分けることができるなんて・・・。と驚いたのである。
いやあ、漢字の世界は底なし沼のように深い。恐ろしい、と
想いながら、「塔2月号」をぱらぱらと読んでいたら、こんな歌が
目に飛び込んできた。その偶然に驚いたのだった。

  呪(まじな)ひも呪(のろ)ひも同じ字 前を向けと呪(のろ)ひの
  やうにかける呪(まじな)ひ    今井早苗「塔 2023年2月号」

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地方紙を読む(続) [言葉]

電子版の山形新聞を購読し始めて二カ月余り。
毎朝、楽しみに読んでいるのだが・・・。

この地に生まれ、十五年も暮してきたのに、私は山形のことを
まったく知らなかったんだなあ、と気付かされることも多くあり、
子どもだったとはいえ、いったい何をしていたんだろう、と
愕然とすることしばしば・・・。特に食文化にはかなり疎かった、
と思い知らされる。

母は山形市のすぐ近く、天童市の出身だったのに。
父が新潟県の出身だったから、父の方の好みに合わせた料理を
作ってくれていた、ってことだろうか。いや、たぶん・・・。
想像する理由の一つは、当時暮していた山形南部の町が
新潟県に隣接し、食材の多く、特に、海産物、果実、野菜などを
新潟県側に頼っていたこと、が大きかったのではないだろうか。

それは山形新聞を読んでいるとさらに感じることである。
というのも、特産物として紹介される多くの食材が、地域に限定的で、
県内に普遍的に、という存在の仕方をしていないものが多いからだ。

たとえば、2月3日の紙面で紹介されていた「雪菜」。これは、
米沢藩の藩主だった上杉鷹山が、冬場の食材として奨励したとされ、
米沢市近辺で長く作り続けられてきた野菜なのだった。雪の下で成長し、
自らの葉を養分とした「とう(花茎)」が利用されるという。
いかにも雪国らしい食材なのだが、私は一度も耳にした事はなく、
もちろん食べた記憶もないのだった。

地方の人口減少に加えてこのとても狭い地域限定性が、さらに
伝統文化の継承を難しくしているんだろうなあ、と考えてしまう。
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地方紙を読む [言葉]

昨年は、山形新聞に大変お世話になってしまった。

昨年一月に歌集を発刊し、その中に山形で暮していた日々を
詠んだ作品を入れたので、山形新聞社にも寄贈したところ、
幸い、記者さんの目に留まり、Zoomでインタビューを受け、
私の物書きについての仕事内容などをかなり大きく紹介して頂けたのである。
続いて刊行した『砂糖をめぐる旅』という紀行文についても、書評を
載せて頂いたり・・・。それを目にした旧友から連絡があったり・・・。

ご縁に感謝し、昨年12月から山形新聞の電子版を購読することにした。
結構簡単に手続き出来て、毎朝、PCを開くのが楽しみなほどの
愛読者になりました。ちなみに電子版は月ぎめだと一か月2千円くらい。

一番面白く読んでいるのは、山形県ゆかりの人物を紹介する「やまがた再発見」
と題された記事で、毎週日曜日に掲載されている。
先月は何度かに渡って、佐藤寛次氏が取り上げられていて楽しかった。
戦前に活躍した農業経済学者で、私が一時席を置いていた米沢市の高校の
卒業生であり、また相棒の職場にも関係する人だったから
なおさら、身近に感じた記事だった。
先々週からは、比較文学者の芳賀徹氏が取り上げられている。幼少時を
山形で暮し、その後の活動にかの地で暮した経験が生きていた方だったようだ。

次に楽しみなのは、俳壇や歌壇。
特に俳句は、山形ならではの風土性が生きていて、こういう短い定型詩は、
小さな共同体でこそ深く鑑賞されるものなのではないか、との思いを
新たにする。たとえば

  雪囲い到来物の夕餉かな 國井寧

雪の季節が来る前、どの家でも雪囲いに追われる。ガラス戸などが
雪の圧力で割れたりする被害から守るため、板などを打ちつけて囲う。
かなりの大仕事で、その日は、食事の支度の余裕がなく、たぶん、
ご近所からの差し入れで済ませたのだろう。雪国ならではの
生活習慣と助け合いが感じられる。雪のない国では二句以下への
展開が理解できないのではないだろうか。

 除雪車の村を揺るがす夜明け前  高橋真喜子

雪が大量に降った朝、早くから活躍してくれる除雪車。
その音は、村全体を揺るがすほどで、有難いが、なかなか
安眠を妨げるものでもあるようだ。こちらも雪国の生活の厳しさを
端的に描いている。

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大きなお世話 [言葉]

相棒が仕事で関わった中国からの留学生は沢山いるが、
その一人が中国へ帰国するとき挨拶に訪れて、こう言った。
「大きなお世話になりました」
相棒は、一瞬、皮肉を言われた、と思ったそうだ。
そうだよね、日本人なら、「要らぬ世話を焼いてくれたな」
と、恨み言を言われている感覚に陥るはず。
でも相棒は、一瞬で気持ちを立て直したらしい。
言っている相手は、発音は流暢だが、何しろ異国からの人。
様子を見ても、皮肉を言いに来た、という雰囲気ではなく。

さりげなく言葉を交した後、「大きなお世話」について、注意しなくては、
と思いつつ、どう話せばいいか、苦慮した、と零していた。

特に話し言葉となると、言葉通りの意味を成さないことが多々あり、
異国語を扱わなければならないとき、妙なことが起きやすい。
その折、相棒は「先生たちへの御礼参り」も、誤解を生みやすい言葉
だよ、と説明したという。「どれだけ理解されたか、わからない」と
自信なさそうだったけれど・・・。

私なども、語感がよく分らないまま英語を喋っていて、頓珍漢なことを
沢山言ってきているような気がする・・・。まあ、ご愛敬と、
大目で見てもらうしかないのだけれど。

言葉は生き物だから、世相を反映して時々刻々変化する。
そのあたりも、扱いにくさの理由であり、また面白いところでも
あるのだけれど。

三週間ほど前、電車に乗っていて、車内を流れる某エンターテイメントの
広告を見ていると、こんな言葉が画面に読めた。
「いいもの見せたいママに いいとこ見せたいパパに」

子どもたちをそのショーに連れて行ってあげましょう、という
広告なのだけれど、これはなかなか面白い対句だなあ、と感心した。

「子供たちに良いものを見せてあげたい」これは、文字通りの意味。
でも一方の
「子供たちにいいとこ(ろ)を見せたいパパ」は、かなり意味が
異なってくる。もちろん、「良い場所を見せたい」という意味ではなく、
「お父さんとして誇れる立場を演じたい」という意味である。
私が日本語を学ぶ立場の、異国からの学生だったら、すぐに理解できたかな、
と考えた。こういうことは、教科書には載ってないだろうなあ、
とも思った。言葉は生きている人々から、直に学ばなくては、
とあらためて思った。
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ある暴言 [言葉]

某牛丼店をチェーン展開している企業の企画本部長の
ある大学の社会人向け講座での発言が、ニュースで流れたのは
今年の四月のことだった。私は先に「SNSで大炎上している」と
耳にし、次いでNHKニュースでその内容に触れることになったのだが。

その時は、「え?」と少々疑問だった。するとそばで聞いていた相棒が
「NHKだから、放送倫理上、使えない言葉があるんだ、
こんな生易しい表現じゃなかった。あれは、絶対に許されない!」
と強い口調で言う。その後、スマホで、実際の発言内容を知った。
耳を疑い、深く落胆し、やがて、憤怒の感情が湧いてきた。

「田舎出の生娘を、東も西もわからないうちに、シャブ漬けにする」
とは、いったい・・。これが、世界に展開する大手企業のリーダーが、
少なくとも数十人は出席していたであろう、大学の講座で、
マーケティング論の一部として発言するとは・・・。

件のチェーン店は、我が家の徒歩圏内にもあり、私は一度だけだが、
利用したことがある。相棒の方は、私が歌会などで留守になる折、
たぶん、一か月に一度位だが、利用していたみたいである。
この店舗に直接責任はないとはいえ、イメージが悪すぎる、もう
絶対に行くもんか、と心に誓った。相棒もその後は行ってないようだ。

あれから三か月余り経って、少し冷静に考えて見る気持ちになった。
この発言者にいささかの同情できる余地があるとしたら・・・。

第一に、一部の人が出席していた講座内で、つまり閉鎖空間での
発言だったこと。場を盛り上げるため、ちょっとした冗談として
軽い気持ちで発してしまったのかも。でも今は、どんな場面で
あったとしても、SNSで拡散される可能性がある。認識が甘すぎる。

第二に、外資系(米国)の企業に就いていて、国外での暮らしが
長かったらしいこと。英語には「mainline」という言葉があり、
普通は幹線とか、主線、という意味だが、米語の俗語として
「静脈に(麻薬を)注射する」というような意味でも使われる。
そして、ビジネスの世界では結構頻繁に、「消費者をある商品に
心酔させる(戦略)」というような、比喩として使われているようだ。
この発言者は当然このことを知っていて、ついそのまま和訳して
つかってしまったのではないだろうか。

でも、日本では言葉の感覚が全く異なってくる。あまりにも反社会的で
たとえ比喩だとしても、決して受容される言葉ではない。
長い国外生活で、マヒしてしまっていたのか。

発言者の側に立って、そう推測しようとしても、「田舎出の生娘」
という部分は決定的だ。この言葉が、決して、国外生活で言語感覚が
麻痺していた、とは言わせない。日本社会に根強い女性軽視・蔑視の
感覚を鮮明に吐露しているからである。長い、欧米での生活で、
いったい、何を学んだのだろう。
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端居 [言葉]

「塔」短歌会に入会して数か月後。東京で支部歌会が
ひらかれているから参加して、とお誘いを頂き、出かけることに。
最初は都心の談話室を使って行われ、二回目からは、
確か亀戸にあった公民館のような施設で行われた記憶がある。

参加者は五、六人と、今では想像がつかないほどの少人数だった。
その中にNさんという、七十代の男性がいて、とても文法に詳しい
方だったが、言葉遣いも古めかしく、当時三十代半ばだった私には
そのことがとても新鮮だった記憶がある。

ある時Nさんが提出された作品のなかに「端居して」という
言葉が使われていた。私には初めて出会う言葉で、家の端、あるいは
家の端近くに出て居る、という意味、と教えられた。

なんとさりげなく面白い言葉だろう、と思ったことを覚えている。
こんな言い回し、日本語だからこそ、だろうなあ、とも思った。
Nさんの作品は、手持無沙汰で、端居しながら、夕空を見上げている、
みたいな作品だったように記憶するが、良くは覚えていない。
でも、自分も端居、という言葉を使って歌を詠んでみたい、
と思ったのだったが・・・。これまで使う機会はないまま、
心から抜け落ちていた。

先日、何か大嵐のような壮絶な猛暑が一週間以上続いた後、
ふっと涼しい風が吹くようになり、クーラーを止めて、
家のあちこちの窓を開けて過ごし始めていたのだが。

夕方、居間のカーテンが風に揺れている間から、なにか
明るい茶色の塊がゆっくりと通り過ぎていくのが見えた。
猫だ! オレンジに近い鮮やかな茶トラの猫である。

そっと窓に近づいて、網戸を開けて庭を覗くと、その猫は
ベランダの西の端のところにちょこんと座って、上空を見上げている。
その後ろ姿が何か崇高な影を帯びているようで、はっとした。
途端に、端居して・・というあのフレーズが蘇ったのである。

猫はしばらく空を見ていて、その後、ゆっくりとフェンスを越えて
何処かへ消えてしまった。ご近所の飼い猫だろうか、首輪は
していなかったようだが・・・。何か深い思索にふけっていたような
猫の端居する姿が、今もまな裏に残り、Nさんのこともうっすらと
思い出していた。
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比喩表現について [言葉]

一月末に第四歌集『海の琥珀』を刊行したことはすでに
このブログでもお知らせしたことであるが。
今もぽつりぽつりと、拙歌集についての反響があるのは
有難いことである。GWに入って間もなく、同じ短歌会の
仲間である〇〇さんからも感想を封書で頂いたのだが。

わたしの歌集から比喩表現を用いた歌全部をPCで打ち出し
同封してくださっていて、驚いた。「自分の勉強のためです」
と添え書きはされていたが、とても有難いことで、自分でも
気づかなかった点をさりげなく指摘して頂くことになった。

あきらかな比喩表現を用いた歌は41首に上ったこと、
中でも「ように」(旧かななので、「やうに」だが)系が
27首、一方「ごとく」系は、11首と少なく、ほかに
「似て、さまに」など、という内訳だったこと。

こうしたことは全く自分では無意識だった。
打ちだしてもらって改めて、自分は結構比喩を使っていたのだな、
特に「ような」が好きだったらしい、と気付いた。確かに好きかも・・・。
歌集全体の作品数は418首くらいだった記憶があるので、比喩を
用いた作品は、ほぼ10%。これは一般的に言って、多いのだろうか。

たまたま私の机の上に、小島ゆかりさんの第13歌集『馬上』
が載っているので、この歌集にどのくらいの比喩表現が
あるか、ざっと調べてみた。すると、明らかなものは
全部で60首だった。暗喩は判断しにくいものもあるので、
ほとんどが直喩。全体の作品数から計算すると、11%強、
という結果だった。私とほとんど違わないことになる。

ただし、小島さんは「ごとく」系がやや多く、31首、
「似る」「めき」「思ひして」や、明らかな暗喩もあり、
「やうに」は二十首強、と言う結果だった。

比喩表現は、短詩形のひとつの華、だと思っている。
私の好きな歌人は、比喩の上手い人、が多いような気もしている。
『馬上』にも、すてきな表現が多々あって、唸らされる。

 梢(うれ)けぶるさくらの空は陥穽の底より仰ぐごとくうつくし
 一言主はるばると来て立つごとし雪の師走のスカイツリーは
                小島ゆかり『馬上』

でも、もし重い事実を中心に詠もうとしたら、比喩は
うんと後退させざるを得なくなるはずで・・・。
比喩はあくまで、文学の「余裕」の中に開く美しい
華、贅の花、なのかもしれなく。
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花万朶 [言葉]

自室で私が利用している暦は、月毎に一枚ずつ
破っていく、というタイプのもので、上部半分は
季節を感じさせるカラー写真が載っている。

二月は、北海道のダイヤモンドダストの写真だった。
深い藍色の樹林を背景にし、中央に一筋差し込んだ
光のなかを、虹色に輝きながら舞う氷の粒が素晴らしく、
見るたびにうっとりしていたのだが。

三月になると、当然破らなければならない。そして
現れた三月の暦の写真は、関東地方で写された
菜の花畑。黄色の帯の間を子供たちが跳ねている。
弓型の列島の国民である私達は、たった一か月で激変する
自然の中で暮しているんだなあ、とちょっと感動した。

この一件を短歌にしてみることに。
ここで、義母の俳句を思い出した。
  終止符は打たずにおかむ花万朶  ひさ子

母の晩年の作品だった。他にもこの「万朶」という
言葉を使った句を作っていた記憶がある。母はこの言葉が
好きだったらしい。日本国語辞典によると万朶は「ばんだ」
と読み、「満朶(まんだ)」の項にまとめて記載されている。

でも母は、漢字は「万朶」の方、読みは「まんだ」の方を
使っていたようである。「まんだ」の方が濁音が入らない
という理由であったようだ。漢字は字面が好きだったんだろう。
私もこの言葉を入れて一首作ってみた。

  白銀を一枚繰れば花万朶 うつくし怖し日本の暦 
                       岡部史

この歌をメールで行っている歌会に提出すると、なんと
「白銀」から、硬貨を詠んだ歌だと勘違いされる方もおられ。

歌を全く詠まず、読みもしない相棒に無理やり読んでもらうと
「え、何のこと?どういう意味の歌? 全くわからん!」
と一蹴されてしまった。ええ、そんなに難しいこと言ってた
かなあ、と自信を無くす(一字明けがよくなかったか)。

歌会が進行する中で、これは暦のことを詠んでいるんだから、
日本の自然が激変することへの感嘆、そして恐怖が詠まれている
のでしょう、という意見が大勢を占めてくれて、ほっとした。
短歌はなにしろ短いから、ちょっとしたことで読みを躓かれて
しまう。ときには全く何のことか、伝わらなくなったりもする。

歌を読むときも詠むときも、不安は尽きないけれど。
しっかり読んでくれる仲間がいることは大きな励みになる。
そんなことを思った歌会になった。

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