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折々の作家・江戸川乱歩 [文学]

乱歩に一番夢中になっていたのは、小学校六年生の時。
父の会社に併設されている図書室は、六才くらいから利用していたのだが、
六年生になる頃、ここに乱歩全集(光文社、或いはポプラ社)が入ったのである。
子どもたちの間で、大人気になり、棚はたちまち空っぽになる騒ぎ。
返却コーナーに張りついている子も多く(私もその一人)、奪い合うように借りていた。

『緑衣の鬼』『幽霊塔』「黒蜥蜴』などを読んだ記憶があるのだが・・・。
両親はあまりよく思っていなかったようで、何しろ表紙からして、かなり
おどろおどろしい絵だったような・・。母が特に不機嫌になるので、
図書館で借りるとすぐに、その場で読んでいたような記憶もある。
凄く怖い内容だと、夜うなされたりして、ばれちゃうのだけれど。

乱歩の長編を数冊読んだところで、近所に住む少し年上の男の子が
「これの方が、ずっと面白いよ」
と、借りてきた本をまた貸ししてくれたことがあった。
また貸しはいけない、と聞いていたのでためらったのだけれど
「長編じゃなくて、後ろについている短い方。すぐに読めるよ」
というので、立ち読みしたことだった。乱歩の『心理試験』である。

乱歩って、こういう小説も書いていたんだ、とちょっと驚いたのだった。
そして、これを勧めてくれた男の子をちょっぴり尊敬したことだった。
何しろ、私が夢中になっていたいわゆる「通俗長編」(この言葉は
当時は知らなかったが)とは一線を画し、『心理試験』には、何か
とても奥の深い、知的なものを感じたからである。
凄いな、と思いながらも、やはり長編を多く読んでいた私だったが。

本棚を整理していたら、大学卒業頃に購入した『江戸川乱歩傑作選』が出てきた。
『心理試験』の他に、『二銭銅貨』『D坂の殺人事件』『人間椅子』
『赤い部屋』などが収録されている。

大人になってからは、私は乱歩の長編は、ほとんど読んでいない。
でも、この『・・・傑作選』は何度か、繰り返し読んだ。
そして昨日もまた、久しぶりにいくつか拾い読みしてしまった。
今では想像もつかないような、設備や道具仕組み、建物の構造などを
知らないと、理解できないであろう部分も多々あり。
大正期の薄暗い都市の襞のようなものに、分け入っていくような感じが、
さらに怪奇さを増幅するような気がする。
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奥の細道 [文学]

先月、半世紀ぶりに糸魚川を尋ねたことはこのブログにも書いた。
糸魚川のみならず、新潟県に足を踏み入れたこと自体、半世紀ぶりだった。
目的地が別で、通過したり、乗り換えしたりしたことはあったのだけれども。

新潟は、芭蕉の『奥の細道』にも登場する地。芭蕉は山形県北西部から
長い海岸線を通って富山の方へ抜けている。長い旅路の後半にあたり、
芭蕉はかなり身体的に疲弊していたらしく、『奥の細道』にはあまり
記述もなく、作品も多くは作られなかったらしいのだが。

久しぶりに新潟の海を眺めていたら、側に立った兄が
「お天気の良い日は、ここから佐渡が見えることもあるんだ」
という。たちまち『奥の細道』の、越後で詠まれた数少ない歌の中の一首

 荒海や佐渡によこたふ天川

を思い出した。波はさほど立っていないものの、曇っていて
水平線もさだかではないが、佐渡の島影が見え、そこに美しく
天の川が差し掛かっている様子を思い描いたのだった。

『「奥の細道」を歩く』(山と渓谷社)には、俳人の山口誓子が
序文的な文章「『奥の細道』の秀句」を寄せていて、そこには秀句として、
三句を選ぶ、とある。その秀句とは

 閑さや岩にしみ入る蝉の声
 五月雨をあつめて早し最上川

の他に、この「荒海や」が挙げられているのだった。誓子が挙げる
秀句の三句は、山形県と新潟県でのみ詠まれた歌、ということになる。
誓子はその理由らしきことについて、この文章に書いていて、なかなか
興味深かった。私自身によりゆかりの深い地で詠まれた作品に秀句が
多いのは、やはりそれなりに感慨深いものがあるからである。

だが、私が三句の秀句を選ぶとすると、少し違ってくるかも、と思う。
「荒海や」と「閑さや」には納得するが、「五月雨を」よりも平泉で
詠まれた

  夏草や兵どもが夢の跡

の方が好きだから。
糸魚川から帰ってから、久しぶりに『奥の細道』を読み返し、素晴らしい句が
沢山あることに驚くと同時に、当時の旅の過酷さを、今さらのように思っている。
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『82年生まれ…』 [文学]

一年に三度、家から一時間ほどかかる大きな病院に通院している。
いつも混むので早めに出かけるのだが、先日は交通の便もよく
早めに着いた。少し早めでも受付の人によってはすっと通して
くれる場合もあるのだが、この日は「11時の予約ですよね、
5分前に来て下さい」と突っ返されてしまった。とほほ・・・。

それで一時間近く時間が空いてしまったので、院内の書店へ行き、
あれこれと眺めていると、文庫本の棚に『82年生まれ、キム・ジョン』
(齋藤真理子訳)を見つけた。少し前に評判になっていて、注目しては
いたのだが、まだ読んでいなかった。それが最近、文庫化されたらしい。

早速購入して、待合室で読み始める。一才の娘を育てている33歳の
女性、キム・ジオンが主人公なのだが。この名前、日本で言えば
鈴木良子さん、みたいな感じで(かなり昭和っぽいが)、ごく普通の
どこにでもいる女性の名らしい。彼女が何やら幽体離脱、みたいな
喋り方をするようになって、夫を驚かせるところから話は始まる。

そして韓国の女性たちの置かれてきた立場がいかに悲惨で、屈辱的な
ものであったのか、が、具体的なエピソードと共にじょじょに
語られ始める。私は1987年2月から4月上旬にかけての二カ月、
韓国に住んでいたことがあるので、日本同様、いやそれ以上に
酷い男尊女卑の状況を見聞きしてはいたのだけれど。
日本の女性に比べて、韓国女性たちは気性が強くて、
周囲の抑圧に唯々諾々と従っている、という感じはしなかったのだが。

驚いたのは90年代に入ってまでもまだ、女児を懐妊したと知ると、
堕胎せざるを得ないような、家族からの圧迫があったということ。
実際、九十年代前半には、特に三番目の子どもの男女比は、
男児が女児の二倍以上だったのだそうだ。女児の出生が抑えられて
いたのだから、現在の韓国で出生率が1未満という驚異的な数値に
なっていたとしても、当然の話ではないか。

検査を挟んで、すぐにまた読み進め、一気に読んでしまったのだが、
色々と考えさせられる、ずしりと重い内容の書だった。

その夜、何となくかけたラジオのNHK第二放送で。「文学の世界」
という番組が流れ、テーマは「弱さから読み解く韓国現代文学」だった。
「あれれ・・」と思う間にこの『82年生まれ・・・」にも触れながら、
話をしているのは、翻訳家の小山内園子氏だった。『82年生まれ・・」の
作者チョ・ナムジュの作品『彼女の名前は』などを翻訳している人である。
ちょっとした偶然に驚きながら、社会的弱者よる韓国の現代文学の実情に
聴き入った。ここでは「弱さ」が積極的に肯定されているようなところが
ちょっと、気になったのだけれど。
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折々の作家・芥川龍之介 [文学]

一か月半くらい前、図書館の大活字本シリーズの中に、
ミステリー編として「芥川龍之介」が丸ごと一冊収められている
本があり(丸一冊といっても大活字本なので、内容的には少ない)
芥川作品をミステリ、という分野から選ぶのか、と興味を持ち、
借りてきた。すでに読んでいる(『藪の中』など)も収録されていた
のだけれど、なんだかとても新鮮な感じで面白く読んだ。ちなみに
シリーズの中の他のも借りて見たが、あまりピンとくるものがなかった。
芥川って、ほんと、文章うまかったんだな、とあらためて感動し。

先日このブログで書いたけれど、その後に読んだ『夕暮れに夜明けの
歌を』の中にも、芥川の『芋粥』について触れている章があり、
この書も既に読んではいるのだが、何しろ、中学一年の時だったので、
あらためて読んでみることにした。父が買ってくれた河出書房版の
日本文学全集に「芥川」が入っていて、『芋粥』も収められている。

中学生の頃に読んで「まあまあ面白い」と思ったのが、「鼻」とか
「手巾」。すごく衝撃的で、長くうなされることにもなったのが
「羅生門」。それ以外は、ぱらぱらと読んで、さほど面白いとも
思わなかった作品が多かったのだが・・・。

我が家には相棒が購入したちくま文庫の『芥川龍之介全集』
全六巻もある。河出版は重いので、文庫版の方の、未読の作品を
拾い読み始めたのだが、結局第一巻全部をのめり込むように読んでしまった。
ところどころの表現に唸りながら。続いて第二巻も読み始めているのだが。

第一巻には一篇だけ中編に近い長さの作品が含まれていて、とりわけ
心に残った。題名には、難しい漢字が使われている
語源を調べてみようと、もう一度字面を確かめる。裏表紙に
収録作品の題名がずらっと、書いてあるので、あらためて
目次や本編を見る必要はない・・・。ええと、盗人の話で、「喩盗」。
え、こんな字だったのか、とあらためて驚く。こんな熟語があったのか!

中漢和辞典を引いてみると、この言葉は載っていなかった。
ゆとう、で広辞苑を調べて見ても載っていない。いよいよ、
『広漢和辞典』を引くしかないか、と思いつつ、む、待てよ、
と思い直す。本文の頁を開いてみると・・・。なんと!
題名は『偸盗』となっているではないか! 「ちゅうとう」と
カナも振ってあった。裏表紙の題名は、誤植だったんだ!

もし『喩盗』だったら、どんな展開だったろうかな、なんてちょっと
夢想してしまいました。とにかく『偸盗』は、実に暴力的な文章で、
派手な活劇を観ているような一篇だったので。芥川はこんな文章も
書いていたんだなあ、と驚嘆したのでしたが。『喩盗』だったら、
何か王朝絵巻のような、優雅な作品になっていたかもしれませぬ。
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『夕暮れに夜明けの歌を』 [文学]

奈倉有里著『夕暮れに夜明けの歌を』(イーストプレス 2021)は、
昨夏、大学時代からの友人Pが紹介してくれた本であるが、9月から
母が危篤状態に陥り、12月下旬に亡くなり、と落ち着かない日々が続き
さらに色々と手続きなどがあり、ようやくこのほど入手して読み終えた。

良い本だった。読み終ってしまうのが惜しかったくらいに。友人のPは
異国に心を遊ばせながら、美しい日本語で遠い地への憧れや、様々な
出会いを綴った書をこよなく愛している。だから彼女が勧めてくれた
本は、忙しくても、時間がかかっても手にとることにしているのだが。
この本はとりわけ良かった。

奈倉さんはロシア語の翻訳者としてお若い頃から活躍しておられ、
名前だけは知っていたけれど、この書ではそのいわば「ロシア語修業」の
過程をつぶさに語っておられて、特に文学への瑞々しい思いに溢れていて
感動する。7~8ページずつから成る小題つきの文章、三十章が一冊に
収められたもので、特に感動的なのは、ロシアの小さな村から進学した
勤勉な少女マーシャと寄宿舎の部屋を共有し、甘酸っぱい青春の時間を
共に過ごす話や、さらに興味深いのが、アントーノフという教授から
受ける「文学研究入門」という授業への熱の高さである。

この教授は独身でいつも酒瓶を手にしている奇人としてまず登場するが
教壇に立った途端、まるで別人のように「文学への愛」を迸らせ、
世界廿浦浦の文学に通暁し、その炯眼、博識、まるで独り舞台を演じる
役者のような弁舌に、作者はたちまち陶酔してしまう。
一語も漏らさずに聞き取りたい彼女は、これを機に速記をマスターして
しまう、というから凄い!

私はこの書を読みながら、同時に芥川龍之介を読み直し、トルストイも
読み直した。最後には、ロシアとウクライナの関係、特に日本人には
分りにくい、両国間の微妙な距離、心理をうまく掬い上げながら、今日的、
まさに、今起きているロシアのウクライナ侵攻前夜の雰囲気を描き
だしていて、驚かされる。危惧されていたことが、最悪な形で
現実化してしまったことに・・。

残念なのは、所々に引用してあるロシア語の詩に、さほどの
感動を覚えないこと。著者も記しているが、詩のリズムやロシア語の
発音の美しさに支えられた作品が多く、翻訳してしまうと、なんだか
ありふれた言辞が並んでいるだけ、としか見えないのである。

中国で暮していた時、中国人の友人が中国の詩を朗読してくれた
ことを思い出した。素晴らしく音楽的で、意味は分からないのに
とても感動したことだった。ロシア語でこの詩を聞きたい、と
切に思ったことである。
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折々の絵本・ぐりとぐら [文学]

絵本の翻訳の仕事に取り掛かり始めた三十年ほど前、絵本の言葉について
知りたくて、ずいぶんたくさんの絵本を手にとったみた。『ぐりとぐら』も
その一冊。評判の絵本とは知っていたが、それまでじっくりと読んだことはなく。

先ず、絵のざっくり感に驚いたことを覚えている。
主人公はネズミ、と知っていたが、よくよく見ると(見ても、というべきか)
ネズミとは見えない。リスのようでも、ウサギとも、ちょっと変わった人間、
みたいにも見える。絵の背景はほとんど描かれず、所々に木が立っているだけだが、
その木も、まるで記号みたいに簡略化されていて・・・。
読んでみる前に、その大胆さには、脱力感さえ覚えたことだった。

今はこのラインが良いのだな、と思える。子供には形が捉えやすく、
物語世界に入り込みやすいのだ。

さて、この絵本の言葉、の方だが。

 「さあ、たまごをわるぞ!」
 ぐりはげんこつでたまごを たたきました。
 「お、いたい! なんて かたいんだろう」
 ぐりはなみだを ながして とびあがりました。
 「いしで たたいてごらんよ」
 と、ぐらが いいました。

ぐりとぐらは、こんな風に、お互いにアイディアを
出しながら、二人力を合わせて、大きなカステラを焼くのである。
食べ物のお話であることも、子供を引き付ける大きな要素に
なっている。飛び切り大きくて、みんなで分け合って食べる、という
ところも。

シンプルな線で描かれた『ぐりとぐら』だが、ところどころに
用いられている色彩は、とても温かみがあって、優しい雰囲気を
醸し出している。絵を担当された大森(山脇)百合子さんの
お人柄が現れているのだろう。

最初はびっくりした絵本だったけれど、手元に置いて何度も
見ているうちに大好きな絵本の一冊になった。初見で飛びついても
見ているうちに飽きてしまう絵本も多いのに、これは素晴らしいこと。

文章を担当された中川李枝子さんと百合子さんは姉妹だった。
お二人の年齢差は六歳で、中川さんが挿絵を依頼した時、
百合子さんはまだ高校生で美術部に所属していたのだそうだ。
どんな気持ちで承諾したのかな、とか考えると楽しくなるのだが
百合子さんは最近、病気で長逝されてしまった。
また、ぐりとぐらを取り出して、このホンワカした世界に
しばらくぼんやりと座り込んでいる。こんなやり方じゃ、
大きなカステラなんか作れないんじゃないの、とか突っ込みながら。
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文章を書いてきて(その7) [文学]

みじかい雑文ならいくらでも書ける。でも、その域を
超えた文章を、となるとなかなか容易ではなかった。
当初は、何も考えずに書ける、と過信して書き始めては
行き詰まる、ということも多くあり。何度も頭を抱えた。

私に、それとなくノウハウを与えてくれたのは、ほかならぬ
相棒だった。彼も大学院時代にあれこれと試行錯誤しながら
身に着けてきていたものらしいのだが。面白いのは、折々の
お喋りのなかに登場する、箴言、のような、警句のようなもの。
曰く

 一晩で四十枚書けないやつは、一生四十枚書けない
 文章は寝ながら書く
 慣れれば最終の頁から最初へ、逆に書くことだってできる

などなど、である。彼は関西人だから、何かということが大仰で、
言葉のままは受け取れないところがあるのだが。

私が最も納得できたことは「寝ながら書く」という一点だった。
長い文章を書くときは、書く前に十分に考えなければならない。
文章全体の設計図のようなものを作り上げる必要があるのだ。
このことが本当に理解できるまで、結構時間がかかったのだけれど。

その設計図を組み立てるには、何もPCの前で呻吟する必要はない。
それよりも、身体を動かして何か別の作業中に並行してやる、
ということの方がはるかに効率的だし、良いアイディアも湧きやすい。

寝ながら書く、というのも、あるアイディアが見つかった場合、
その展開方法をあれこれ考え、そしていったんはそこから離れて
別のことをする、あるいは考える時間を置く。そしてしばらく
経ってから、なんとなくうつらうつらと覚醒しているかどうか
危うい淵にいるような時に、ふっと全体像を思い浮かべてみる、
そういうプロセスを経た方がいい、ということのようである。

文章を書くという場面では、まだまだ、試行錯誤は続いている。
でも、苦行だったことは過去、今は楽しい迷いの場になっている。
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文章を書いてきて(その6) [文学]

村上春樹『騎士団長殺し』の主人公は画家で、「食べていく」
ために肖像画を書く仕事をしている、という設定になっている。
本来は抽象画を描きたい、という望みを持っているのだが、
とにかく、絵を描くという場面、絵について何か語る場面が
多々登場して、この分野に興味がある私には極めて楽しい書。

 「絵に描ける?」と彼女は尋ねた。
 「似顔絵のようなもの?」
 「そう。だって画家なんでしょう?」 
 私はポケットからメモ帳を取りだし、シャープペンシルを
 使ってその男の顔を素早く描いた。陰翳までつけた。・・
 男の方をちらちらと見る必要もなかった。私には人の
 顔を一目で素早く捉え、脳裏に焼き付ける能力が具わっている。
            村上春樹『騎士団長殺し』

絵を描くノウハウは、文章を書くそれと、かなり共通性があると
感じる。私も何か書こう、と志すとまもなく、文章の全体が
頭の中に浮かび上がって、かなり素早く写し取ることができる。
ただし、短い文章である。せいぜい、600字くらいまでの。

それ以上の文章はどのように書けばいいのか。たとえば、原稿用紙
20枚以上の文章。文章の種類によっても書き方は変わるだろう、
評論、書評、紀行文・・・。

自信はなかった。将来の見通しなんか、とても立たなかった。
でも、挑戦してみたい、という気持ちは十分にあった。
難しい公務員試験を受けて、安定した職業についてはいたのだが、
私は退職することにした。周囲の人の九割以上が反対した。

なにするつもり。子供もいないのに。退屈するだけでしょ。
アメリカに行くから? そんなところに行ったって、英語が
身に着くと限らないだろう。それどころか、日本語の方を
忘れちゃったりして・・・。帰国したら、夜間に職場を清掃
する仕事、紹介してやるよ・・・。

不安はいっぱいだった。でも、新しいことに挑戦する
ワクワクする気持ちの方が、ちょっとだけ勝っていた。

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文章を書いてきて(その5) [文学]

大学時代は、このブログでも書いたことがあるが、
社会科学系のサークルに所属していて、ある地域を取り上げ、
町の生い立ちの歴史を調べたり、地域振興政策などについて
検討したりする活動をしていた。一年に一度、報告書を書いて
みんなで討論する、という場もあり。ここでだいぶ
「客観的な」文章を書く訓練はしたはずなのだけれど。

毎回、四苦八苦したことを覚えている。でもおかげで、
地方自治体の職員採用試験には合格できたのだから、
(試験には、提示された複数の課題から一つテーマを選んで
論述する、項目が含まれていた)多少は成果があったといえる。

配属先は、広報課、あるいは市史編纂室のある教育委員会などを
希望したのだが。国民健康保険とか戸籍とかを扱う市民課系だった。
四年後には配転希望を出せたのだが、なんと
第五希望(こんなの希望、って言わないよね)としてやむを得ず
書いた市民税課に回されてしまった!

毎日、泣きたいほど憂鬱な日々だったが、
同期の友人の友人が福利厚生課にいて、その関係から、
「職員報に何か書いて」と頼まれたのが、一つの契機になった。

ちょうど短歌に興味を持ち始めたときだったので、与謝野晶子と
山川登美子について書いた。原稿用紙二枚程度の分量だった。
その文章を読んでくれた広報課の人から、「市民グラフ」に
書いてほしい、と依頼がきたのである。正式には「市民グラフ
ヨコハマ」という季刊誌で、「横浜市内を走る電車(列車)特集」
という企画を立てている、私には「横浜線」を担当して
ほしい、とのことだった。分量は八枚。これまで、書いたことの
ない長さで、ちょっと武者震い(大げさだね)したのを覚えている。

広報課の依頼は、あくまで、本来の職務外、とみなされるものだった
ので、取材や調査は休日を使って、交通費は自腹。でも、自分の
書いた文章が、商業誌(市民グラフは、市内の書店で200円くらい
で販売されていた)に載る、ということはそれだけでワクワクする
ことだった。しかも、写真がふんだんに入る。

発刊されたグラフを見ると、東海道線や東急東横線をおしのけ、
当時はボロいローカル線だった横浜線が、冒頭に置かれていた。
美しいカラー写真付きで。嬉しかった。私はやっぱ、何かモノを
書く人になりたい。と、強く思った瞬間だった。
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文章を書いてきて(その4) [文学]

中学、高校と、さほど読書もせず、文章を書くことも少なく、
小学生の頃に抱いた「何かモノを書く人になりたい」という
淡い願望も忘れて過ごしていた。十代半ばというのは、
親とも何かともめ事が多く、友人などとのゴタゴタもありで、
精神的に不安定な時期だった。何か好きなことに集中できて
いたら、かなり楽に過ごせただろうに、と思うのだが。

大学生になると、全く異なった形で文章を書く、という
場面が増えて来て、私は大いに戸惑った。
授業の課題の「レポート」である。当時は一般教養が
必修科目としてあり、その一つにわたしは地理学を
採ったのだが、提出を求められたレポートの課題が
「ソ連の地誌について」だった。こういう課題は、
そのたぐいの本をみつけて、「写す」しかないのでは・・・。

そんなことはかなり無意味な感じがする。では、どう書けば
いいのだろう。一般教養の経済学の夏休みの課題は
「『サルが人間になるにあたっての労働の役割』を読んで
矛盾点を指摘せよ」というもの。「写す」必要はないが、
これはこれでかなり難しい課題だった。

私は、レポートの文章が書けない、課題図書を読みこなせない、
という二つの難題の前に途方に暮れた。そして初めて、
好きなように読み、好きなように書いてきた自分は、
何の方法論も身に着けていなかったことに気づいたのである。
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