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奥の細道 [文学]

先月、半世紀ぶりに糸魚川を尋ねたことはこのブログにも書いた。
糸魚川のみならず、新潟県に足を踏み入れたこと自体、半世紀ぶりだった。
目的地が別で、通過したり、乗り換えしたりしたことはあったのだけれども。

新潟は、芭蕉の『奥の細道』にも登場する地。芭蕉は山形県北西部から
長い海岸線を通って富山の方へ抜けている。長い旅路の後半にあたり、
芭蕉はかなり身体的に疲弊していたらしく、『奥の細道』にはあまり
記述もなく、作品も多くは作られなかったらしいのだが。

久しぶりに新潟の海を眺めていたら、側に立った兄が
「お天気の良い日は、ここから佐渡が見えることもあるんだ」
という。たちまち『奥の細道』の、越後で詠まれた数少ない歌の中の一首

 荒海や佐渡によこたふ天川

を思い出した。波はさほど立っていないものの、曇っていて
水平線もさだかではないが、佐渡の島影が見え、そこに美しく
天の川が差し掛かっている様子を思い描いたのだった。

『「奥の細道」を歩く』(山と渓谷社)には、俳人の山口誓子が
序文的な文章「『奥の細道』の秀句」を寄せていて、そこには秀句として、
三句を選ぶ、とある。その秀句とは

 閑さや岩にしみ入る蝉の声
 五月雨をあつめて早し最上川

の他に、この「荒海や」が挙げられているのだった。誓子が挙げる
秀句の三句は、山形県と新潟県でのみ詠まれた歌、ということになる。
誓子はその理由らしきことについて、この文章に書いていて、なかなか
興味深かった。私自身によりゆかりの深い地で詠まれた作品に秀句が
多いのは、やはりそれなりに感慨深いものがあるからである。

だが、私が三句の秀句を選ぶとすると、少し違ってくるかも、と思う。
「荒海や」と「閑さや」には納得するが、「五月雨を」よりも平泉で
詠まれた

  夏草や兵どもが夢の跡

の方が好きだから。
糸魚川から帰ってから、久しぶりに『奥の細道』を読み返し、素晴らしい句が
沢山あることに驚くと同時に、当時の旅の過酷さを、今さらのように思っている。
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