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折々の画家・マネ・続 [藝術]

しばらくの間、マネの画集(『現代世界美術全集1マネ』集英社)を
側において、ことあるごとに眺めていたら、これまで目につかなかった
幾つかが、気になるようになった。

マネは闘牛士がすきだったようで、闘牛士の絵を複数描いているのだが。
たとえば「エスパダの衣装をつけたヴィクトリーヌ」という絵がある。
エスパダとは、剣で闘牛を刺す闘牛士が身に着ける衣装らしい。ヴィクトリーヌは
マネのモデルを務めていた女性なので、これはいかにも、モデルに
それなりの服を着せて、アトリエで描いた、と想像できるのだが。

面白いのは、背景に闘牛場のような場面を描きいれていること。
とはいえ、闘牛士のような男性がまたがろうとしているのは
馬のようだが・・・。それに、主役たる女性との位置関係も
狂っているようで、なんのためにこんな背景を入れたのか、
よくわからない。

ほかに「死せる闘牛士」という絵もある。これは若い闘牛士が、
床にあおむけに横たわっている絵で、右側に頭をこちら向けにし、
左奥に両足を投げ出している姿勢だが、観るたびに目を奪われてしまう。
横たわった角度に対するパースの正確さ。身につけている衣装の、
質感が手にとるように伝わる、その描写の美しさ、つまりは
リアリティに溢れているという点で、素晴らしいと思う。

ただ、この絵の背景は、いかにも室内の、床の上らしく濃茶系の
濃淡で占められていて、闘牛士が亡くなる、その理由であるだろう、
闘牛の場面の空気感からは遮断されているのである。
ここにこそ、闘牛場の臨場感を配するべきだったのでは、と思うのだが。

「闘牛」といういかにも臨場感に満ちた絵もあるが、こちらは
細部が雑な感じで、おそらく実際に闘牛場で見た光景をスケッチして
アトリエで仕上げる、という形をとったものだろうが、なんとも
物足りない感じがするのだ。

マネという画家は室内でこそ、その力を発揮した人なのだろう。
たぶん、「草上の昼餐」も、モデルをアトリエで描写してから
屋外の背景を入れたのではないか、と思えてくる。では、何のために
わざわざ、草の上で食事をする、という場面にしたのか。
奥に描かれた女性(服を着ている)は、何をしているのだろう、
絵の全体からは浮いた感じが否定できない、この女性は・・・。
不思議さは深まり、そのことがさらに
マネという画家に引き付けられる要因ともなる。
厄介なことだ、と思いながら、私はまたマネの画帳を繰ってしまう。
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