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折々の画家・マネ [藝術]

中学生の頃、学習雑誌を毎月購入していたのだが
(正直、こんな雑誌より、「女学生の友」が読みたかったが
母がどうしても購入を認めてくれなかった)。いやいや手に
取っていた雑誌だったが、唯一楽しみだったのが
世界の名画が印刷された「名画カード」というとじ込み付録が
あったこと。毎月、一枚ずつ、綺麗な多色刷りで印刷された
カードは、特に中二の頃に入るとさらに技術が進んで美しくなり、
私は綺麗に切り取って保管してきた。今も手元にある。

画家・マネもこの付録で知ったのだが、作品は「笛を吹く少年」。
少年の身に着けている服、特にズボンの臙脂色に目を奪われて
居たことを覚えている。

  草上昼餐はるかなりにき若者ら不時着陸の機体のごとく
                葛原妙子『原牛』

葛原のこの歌を始めて目にした時、「ああ、マネのあの絵のことだ」
と気付きつつ、自分の持つマネの画風との間にギャップを感じたことを
覚えている。というか、「草上昼餐」という絵に抱いていた違和感を
短歌によって指摘されたような感じだった。そうだ、マネはあんな
絵も描いていたんだった、とあらためて思ったのである。

画集を開いてみると、マネには人物画が多く、得意としていたことは
よくわかる。でも、裸婦を描いた絵はむしろ少ないのである。
それだから、「草上昼餐」の異様さは際立つ。何しろ、草の上に、
ピクニックのように食べ物を広げ、そのそばで一人の若い女性と、
二人の青年が輪を作るように向き合って腰かけている。男性たちは
きちんとした身なりをしていて、上流階級らしい雰囲気をまとう。
女性だけが、素裸で、ゆったりとした表情をこちらに向けている。
右膝を立て、左膝は草の上に倒しているので、足の裏がこちら向き。

何ともしどけない姿態なのである。でもそれだけに、女性の四肢の
美しさが際立つ。屋外の草上だからこそ、素裸の命の輝きが際立つのだ。

葛原の歌もすごい。草上のピクニックの様相を「不時着陸の機体」
などと比喩するなんて。何かやむを得ぬ事態が起きて、とりあえず
草の上で昼食を済ませることになった、そんな場面に近いものは、
確かに感じられる絵ではあるが。事故を起こした機体は、やむを得ず
一糸もまとわずに食事をすることになった女性から生まれた比喩か。

マネの画集を開くとき、私はいつもこの歌を口ずさんでしまう。
「不時着陸の・・・」そしていつか、この場所は富士山麓かもね、
なんて感覚にも陥る。言葉から絵へ、絵から言葉へ。心はめぐる。
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