絵本を読む(その4) [藝術]
今回は絵本を「読む」というより「見る」というべきか。
東逸子絵、宙野素子文『月光公園』(mikihouse 1993年刊)
雑誌Moeで知り、その絵に惹かれて、当時すぐに購入したもの。
長いこと手にとっていなかったのだが、昨年六月から絵を描き始め
ふっと思い出して、すぐ手元の書棚に移し替え、何度も見るようになった。
この本は、大人が見るための本であって、読むためのものでも、
子供のための本でもないような気がする。
超絶的なテクニックを駆使して描かれた絵!
その幻想的な、怪しいまでの美しさに私は見るたびに
金縛りにあったように、視線を動かすことができなくなる。
年開けてすぐの2週間前、無謀にも模写を試みることに。
主人公となっている少年が、月光の降り注ぐ公園の中で、
軽く飛び跳ねている場面。全32頁中の一頁を選び模写し始めた。
近くには凝った形の噴水、そして不思議な形のオブジェ。
月の光を浴びた木木。うっすらと
黄味をおびている近い空、深い青の遠い空・・・。
全体が青と緑で統一されたような画面である。でも
その青と緑が、幾種類も描き分けられて出来上がっている頁である。
少年が着ている絹状の服も、うっすらと水色を帯びた白。
一枚目は大失敗。二枚目もうまくいかず、ついに三枚も描いたが・・。
東さんの技巧の凄さを何度も発見させられるような体験になった。
色彩が描く、一篇の物語、でも長い、長い物語を今も
読んでいるような気がする。懲りずにまた、模写しよう、と思う。
東逸子絵、宙野素子文『月光公園』(mikihouse 1993年刊)
雑誌Moeで知り、その絵に惹かれて、当時すぐに購入したもの。
長いこと手にとっていなかったのだが、昨年六月から絵を描き始め
ふっと思い出して、すぐ手元の書棚に移し替え、何度も見るようになった。
この本は、大人が見るための本であって、読むためのものでも、
子供のための本でもないような気がする。
超絶的なテクニックを駆使して描かれた絵!
その幻想的な、怪しいまでの美しさに私は見るたびに
金縛りにあったように、視線を動かすことができなくなる。
年開けてすぐの2週間前、無謀にも模写を試みることに。
主人公となっている少年が、月光の降り注ぐ公園の中で、
軽く飛び跳ねている場面。全32頁中の一頁を選び模写し始めた。
近くには凝った形の噴水、そして不思議な形のオブジェ。
月の光を浴びた木木。うっすらと
黄味をおびている近い空、深い青の遠い空・・・。
全体が青と緑で統一されたような画面である。でも
その青と緑が、幾種類も描き分けられて出来上がっている頁である。
少年が着ている絹状の服も、うっすらと水色を帯びた白。
一枚目は大失敗。二枚目もうまくいかず、ついに三枚も描いたが・・。
東さんの技巧の凄さを何度も発見させられるような体験になった。
色彩が描く、一篇の物語、でも長い、長い物語を今も
読んでいるような気がする。懲りずにまた、模写しよう、と思う。