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会費の支払い、など [生活]

12月と6月は、塔短歌会の会費支払い月で、期限は両月とも20日。
かつては、各自の入会月が基準となっていて、期限はばらばらだった。
そのため、滞納者の特定がややこしく、このところの会員増もあって、
会計担当者には大変な事務量になっていた。それを簡素化するために、
全員同じ期限にするための調整を図り、一斉スタートとなったのは、
数年前だったが・・・。

意外に多い滞納者数に、担当者が悲鳴を上げるようになったのである。
塔の会員数はこのところ千百人くらいだが、その一割強の人が
滞納していた、のだから、大変なことだった。
納付用紙は、前月の五月号と11月号に挟み込まれるが、その際に
「期限厳守のお願い」という印刷物も同時に封入することになった。

毎回、ブログや編集後記などで呼びかける、などの効果もあって、
滞納者数は三割近く減少したようだが、それでもかなりの数になる。

この12月の期限に納入されなかった方のうち、この二年ほどの間に
複数回滞納された方には、編集委員が手分けして直接声をかける、
ということが提案された。
その結果、「期限には間に合わなかったが、もう支払い済み」
という方が結構おられたことに、ちょっと驚いた。
期限を覚えていて、それでも遅れちゃったのかなあ、と・・。

こういう方はある意味、凄いな、と私などは思う。
その場で忘れてしまったら、百パーセント、思い出さないからである。
だから、子供の頃は忘れものがものすごく多くて、宿題なんか、
朝学校についてから、友達に言われて慌ててやる、
提出物は、昼休みに取りに行く、ということを繰り返していた。

社会人になってからは、少しずつ自覚し、対策が取れるようになった。
なんのことはない、やるべきことはすぐやる、それだけである。
塔の会費も、11月号と五月号が届いたら、ほぼ二、三日のうちに
郵便局へ支払いに行く。これを忘れたら・・・。
もう二度と思い出さないから、滞納リストのトップに躍り出ていたはずである。
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うたの真偽・続 [短歌]

今月の「塔」に掲載の私の作品に、次のような歌もある。

  中国名は羅森(ローソン) たちまち木の香る涼しき館と誘われゆく
                        岡部史

十年近く前の夏、上海に滞在していた時、近くに日本から進出している
ローソンがあった。あの青い帯の店舗は日本と同様で、だが
店名の表記は「羅森」である。上海では小規模の店舗にはまだ
クーラーが備えていないところもあったが、ローソン内はいつも
きりりと、涼しかった。それで、あまり必要のない時でも入って、
涼みながら、どうでもいいような買い物をしていた記憶がある。


9月の横浜歌会の詠草提出日が迫っていた時、ちょうどあれこれと
雑用が重なった時期でもあり、よく確認しないまま提出してしまい、
このローソンの中国表記を間違えてしまっていた。
歌会が始まってから気がつき、もう、変更することはできない。
私は「羅森」とすべきところを「露林」、と表記してしまったのだ。
これでは「ルーリン」としか発音できないので、ローソンにはあり得ない。
上海滞在から時間が経っていて、私の記憶の中で、勝手に変化させて
しまっていたのだった。私には、「羅森」より「露林」のほうが、
涼しい館っぽくて、魅力的に思われてしまっていたのだった。

早速、指摘があった。今はすぐにスマホで確認できるから、
間違いはすぐばれちゃうのだ。横浜歌会は投票方式を採っているので、
点を入れてくれた方もいて、「中国は広いから、こういう標記の所も
あるかもしれないじゃない?」と言ってくれた。
ああ、どこかにそんなところがあるといいなあ、と私も思った。

だが、しかし・・・。これはかなり無理があるんじゃないかな、
と思った。短歌は真実でなくてもいい、といつも思っている私だけれど。
ここは、そうはいかないだろう。日本の店舗の中国名としての面白さ、
も狙いたいところなんだし・・・と。
ここは泣く泣く(?)、「羅森」へ正して、例月の作品に仕上げたのだった。

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うたの真偽 [短歌]

今月の「塔」に掲載された私の作品の中の一首

  天竜の飛沫を一瞥せしのみに街区へかへす遠州鉄道

は、今年の大会が浜松で開かれた折、帰京する前に寄り道して
遠州鉄道と天竜浜名湖鉄道に乗車した折の経験から詠んでいる。
遠州鉄道は浜松を起点に西鹿島まで走る、郊外型の鉄道で、
沿線には浜松の住宅地がそのまま広がっている感じがする、
どちらかというと通勤通学のための路線、という印象だった。

その点で、窓から見る景色はあまり面白くない。乗車率も高く、
日曜日の午後の時間とあって、けっこう込み合っていた。
私はずっと車窓から外を見ていたが、実は天竜川は一度も
目にすることができなかったのである。

西鹿島で降り、少し近くをぶらぶらしてみた。天竜川には徒歩
十分くらいかかるという。帰りの時間も気になったので、
そのまま浜名湖方面からくる天竜浜名湖鉄道に乗り換え、
掛川を目指すことに・・・。

列車が走り出すとすぐ、車窓から素晴らしい景色が見えた。
天竜川の雄大な流れが、一気に飛び込んできたのである。川の水は濃い緑色。
息をのんでいるうちに、たちまち目前から消え、列車は濃い
緑の中を進んでいく。遠州鉄道とは違い、こちらはあきらかに
田園地帯を行く、「地方列車」だった。乗客は少なく、
多くは無人駅である。私はこのあたりの農村を訪れたことがないので、
車窓にしがみつくようにして、見入ってしまった。
遠州鉄道よりはるかに魅力的な路線に思えた。

だから冒頭にあげた一首は、事実とは違う。でも、遠州鉄道が天竜川の
すぐ近くまで通っていて、終点から少し歩きさえすれば、その美しい
景色を楽しむこともできるのに、実は通勤通学列車なんだ、
というところを詠みたかったので、これで通してしまった。
短歌は別に事実とは異なっていても、いいのではないか、と
私は思っている。短歌で地理を教わっているわけじゃないし・・。
でも、細かい人には「間違っている」と指摘されちゃうかな。
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絵本を読む・さらに [藝術]

自分でも絵を描き始めてから、手元にある絵本をじっくりと
「見る」ようになった。これまでは、どちらかというと「読む」方に
重心をかけていて、絵に対して淡白だった、と気づいたから。

そして、私がおとなになってから初めて手にした絵本が
いわさきちひろ『ひさの星』だったことも思い出した。
本棚の片隅に、もう何年も開かれないままになっていたその本を
手にすると、じわーっとこみあげてくるものがあった。

この本は私の23歳の誕生日に、妹が贈ってくれた本だったのだ。
「誕生祝に絵本?」と、私にはいささか違和感があった。
当時は絵本にあまり興味がなかったことがひとつある。
月並みの礼を言って、ぱらぱらとめくってみただけで、
あまり興味が湧かなかったことも覚えている。
妹にはかなりあっけなく思えたのではないだろうか。

その頃、妹は幼児教育を学んでいて、この本に特に
惹かれるものがあり、私の誕生祝に選んでくれたに違いないのに。

数十年の時を経て、『ひさの星』は少しばかり赤茶けていた。
でも、扉を開いた途端、ちひろの世界がどっと広がる。
大胆な省略と、思い切った筆致。色彩だけで、あるいは
線だけで、茫漠とした形だけで、物語を進める、不思議な力。
それは水彩画の極致、ともいえる技で、少しばかり絵を始めた
私には、本当に神がかったテクニックにも思える。

ストーリーも、不思議だ。ひさのような子供が、本当に
存在するのか・・・。あまりにも非現実的な気もするのだが。
ちひろの技が大方の卑俗な疑問をねじ伏せる。
そんな力を感じさせる絵本である。

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珈琲の淹れ方 [食文化]

毎朝、一杯目はミルク入りの紅茶を飲み、二杯目は
珈琲を飲んでいる私。コーヒー豆はいつもミルで挽いている。
そこそこ、こだわってきたつもりだったが・・。

過日、テレビの番組の中に、珈琲店を営んでいる人が登場
(「なんでも鑑定団」だった。これは唯一見ているバラエティー系番組)
美味しいコーヒーの入れ方を紹介してくれたのだった。
もちろん、この番組はお宝を鑑定してもらうのが趣旨だから、
ちょっとした余談として、である。お宝も珈琲とは全く無関係だった。

でも、私はその話に思わず身を乗り出した。ずっと淹れていたやり方と
異なる点があったからである。ちなみにグリップを使う。
一つは、お湯の温度。いつもぐらぐらに沸かしたお湯を使っていた。
でも、美味しいコーヒーは85度から90度くらいのお湯が良いのだそうだ。

次に、お湯の注ぎ方。まず、珈琲粉に少しお湯を注いで、粉を膨張させる。
それはその通りやっていた。問題は、数十秒後、お湯を細目にして注ぎ入れるのだが、
私は全体を覆うように注いでいた。鑑定団に出場していたその方は
「五百円玉くらいの円を、中央に描くように注ぐ」と言っていた。

早速試してみた。
う~ん、味がまろやかになる。香りも良くなった気がする。
それから、しっかりこのやり方で淹れている。
その方がどんなお宝をお持ちだったのか、はもう、忘れてしまったけど。
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漢方薬 [言葉]

テレビを見ていた相棒が、「あ、あの字! 何て読むの?」
と訊いてきた。最近、こういうことよくある。
私が長年、短歌なんかやっていて、
「どうでもいいような漢字とか、一生かかって一度でも
耳にしないような言葉を(得意げに)知っているやつ」と
思われているらしい。

その時のテレビ画面はある薬品のコマーシャルを流していた。
漢方薬の一種で、その薬に含まれる生薬が何種類か掲げてあるのだが、
その一つに、難しい漢字が登場しているのだった。
きちんと目で捉えられないうちに、画面は切り替わってしまった。
「あ、もしかして、虫偏だった」
「うん、漢方薬って植物が多いのにな」
「でもないでしょ。中国の薬局には蛇とか蜥蜴とか、
鹿の陰茎まで売ってたじゃない」
「そうか・・・」

次にそのコマーシャルに出会うまで、数週間かかった。
あまりテレビを見ないからだが。
その問題の文字はさっと見た目、「蟾」と見えた。
漢和辞典でしらべてみると、「せん」と読み、ヒキガエルを指す
らしい。漢方として「蟾蘇」が有名とわかったが、これは私の
漢和辞典には載っていなかった。中国語辞典で調べてみると、

「がまの油 ヒキガエルの耳腺から分泌する乳液。乾燥させた
ものは漢方薬として、強心・鎮痛・止血剤となる」(中日辞典・小学館)
とあった。ガマの油が止血に効く、という話は、子供の頃、
街頭の物売りの口上で、知っていたことではあったが。

ちなみに「蟾」は、中国では「月」の異名でもあるというから驚く。
ヒキガエルが月の中にいるという、伝説から来ているらしい。
漢字って、面白いな、と改めて思う。一つの文字の中に、
数前年の中国の歴史が息づいていて・・・・。
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電車の乗客 [生活]

特に昼の電車に乗っていると、ベビーカーを押しながら
乗車してくる人が増えたなあ、と感じる。四十年前くらいには
とても想像できなかったくらいに。駅にエレベーターができ、
利用者に便利になっていることも大きいだろう。いいことだな、と思う。

思い出されるのは、ヨーロッパの列車を利用した時のこと。
改札がない、ということもあり、駅のフォームには日本では
あまり考えられない光景が展開する。たとえば、自転車を押しながら
やってきて、そのまま乗車するひとがいること。
ヨーロッパの鉄道は、これで他の乗客に迷惑がかかるほど混んでいない。

もう三十年位前だが、ヨーロッパを鉄道で縦断した時、
ある駅から犬が単独で乗り込んできて、驚いたことがあった。
乗り慣れているらしく、おとなしく車両の隅に座り込んでいて、
数駅乗った後、またひとりで降りて行った。なんだか、
絵本の一頁を見ているような気分になった。
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悪のスクツ [言葉]

朝日新聞の土曜版には「街のB級言葉図鑑」というコラムが
連載されていて、毎回楽しみに読んでいる。
今週は「買入」で「ばいにゅうと読んでいた」という見出し。
漢字の熟語の読みを巡る話題だった。

漢字の熟語は基本的に音読み、ということは
たぶん特に教わらなくとも、自然に身についてくることのように
私には思える。覚えているのは、四年生くらいの時、教科書の
表紙の隅に印刷されていた「文部省検定済教科書」を
「もんぶしょうけんていざいきょうかしょ」と得意げに読んで
父に笑われたことである。当然「けんていずみ」と正されたのだが、
腑に落ちない気持ちがしたことを鮮明に覚えている。
ここでいきなり訓読みになるなんて、ずるいじゃないか、みたいな。

その後まもなく、湯桶読みと重箱読みについて教わることになるのだが、
重箱には全く違和を感じなかったこともよく覚えている。

おそらく、最初から知っている言葉なら、それが漢字熟語として
初めて見るものでも、すんなり読めてしまうのではないか、と思う。

「買入」も、「ばいにゅう」という言葉を知らないから、たぶん
「かいいれ」と、それとなくあたりをつけながら読んできたのだろう。

ところで我が相棒は「巣窟」を、いつも「すくつ」と発音する。
「あいつのところは、まるで悪のスクツだ」と言うので
「それ、『そうくつ』って読むんだよ」と正したことがある。
ところが
「そうくつ、なんて爽やかなもんじゃない。スクツって言わないと、
感じが出ない」とのたまう。(居直りか?)
言われてみると、「あくのそうくつ」より「悪のスクツ」のほうが、
なんとなく狭いところに汚いものがとぐろを巻いている感じがする。
それで家では「スクツ」と言うのが定番になってしまった。
外で使う時も言ってしまうかも、と、ちょっとドキドキする。

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絵本を読む・再々 [藝術]

子牛の絵を描きたい、描かなくちゃ、という状況になった
八月。考えてみると、身近に子牛を見たことがなかった、と気づく。
角はあったかな、鼻の形はどうだったろう、と疑問が満載。
動物の絵の手引書を見ても、親牛は載っているが子牛はない。

絵本ではどうかな、と試しに図書館の検索機で「こうし」で探してみて、
見つかったのがA・リンドグレーン作、M・テークヴィスト絵
『こうしはそりにのって』(金の星社刊)。二十年位前に出た本。
作者はあの長靴下のピッピを生んだ作家である。絵を担当した画家さんは、
リンドグレーンの作品の翻訳を担当した人の娘さんなのだとか。

柔らかい水彩のタッチが美しい絵だな、と気に入り、また、
子牛も当然登場するので、借りて帰ってじっくり読むことに。
少々違和感があったのは、題に「こうし」が登場するのに、
肝心の表紙には、馬と橇に載る人物が描かれているだけと言う点。
ちょっと、これではまずいのではないか、と私は思う。

ストーリーは、裕福な牧場経営者の男性が、こうしを買い取るものの、
酔っぱらって、家に帰る途中、雪道に放り投げてしまう。
それを拾ったのが、最近、子牛を失って落胆していた貧しい農家の
少年。彼は子牛を大切に育てようとするのだが・・・。

絵本の途中には、子牛を買った牧場主が馬橇で帰宅の途中、
後ろの荷台に子牛をみつけて、あっけにとられる、と言う場面がある。
雪がやんだ星空のもと、青い影を引きながら走る馬橇が幻想的に描かれていて
この絵には心惹かれるものがあった(これを表紙にすればよかったのに)

それで、子牛の絵を練習するという意味も兼ねて、このページを
6号の大きさの画用紙に水彩絵の具で模写することにした。
ちょうど今月は、絵を描きに行っているアトリエのミニ展覧会が
あるというので、そこに出すことに決めて、少々気合を入れて描いた。
模写を出すのは気が引けるが、まあまだルーキーだからいいか。

先生はこの挿絵の画家さんをあまり評価されていないようで、
「馬が描いてあるのに、馬、と気づくまで時間がかかりました。
わかりにくいのはまずいでしょ。模写に徹せず、じぶんなりに
馬らしく見えるように描きなさい」と言われてしまった。
そのあたり、工夫しながら挑戦してみたのだけれど。
来週、展覧会の飾りつけをするらしい。仲間たちはどう見てくれるかな。
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横浜歌会二十年 [短歌]

「塔」の一支部として、横浜歌会が生まれたのが一九九九年三月。
当時会員だった東京西部に住むKiさんが相模原市在住のAiさんに
呼びかけ、横浜線沿線にある相模原市の市民会館の一室を借りて
始まった。その第一回目の参加者は、Kiさん、Aiさん、私。他に
千葉県在住で「塔」の中心的な存在だった花山多佳子さんと小林
幸子さんが駆けつけてくれた。お二人は創設のための相談役の
ような存在になってくれたのだが・・・。

相模原よりもやや横浜よりの町田市内の施設が確保できるように
なって、横浜市内からの参加者も増えてきたところから、
「横浜線沿線中心の歌会」と言う意味も含めて「横浜歌会」を名乗る
ようになった。実際の所、会場のある町田市は東京都になるのだが。

その後、Kbさん、Krさん、Tさん、Akさんらも参加され、
順調に進むかに見えた・・・。
呼びかけ人だったKiさん、中心的な役割を果たしてくれたKbさんが
仕事の都合で関西へ移られ、Aiさんが「塔」を退会されたあたりから、
参加者がみるみる減り。或る時、詠草を送付してきたのが一人だけ、
と言う時があった。私を含め、二人だけの歌会?

その時は、さすがに参った。千葉県柏市在住の三井修氏に応援を頼み、
結果四人が集まり、ぎりぎり、歌会の体を成したのだが。
「もう、これでは続けられない」と思った。
「やめてもいいかしら」と、小林幸子さんに電話すると
「無理しないでいいんじゃない? また出来る時に再開したら?」
と言ってくださり、ほっとしたことを覚えている。

でも、横浜歌会にとってはその創設二年目がどん底で、
その後は、少しずつ参加者が増えてきた。インターネットの普及が
大きかった。「塔」のe歌会が広く知られるようになり、こちらを
経由して連絡してくれる人が多くなり、2003年ころには、常時
十人程度の参加者が見込めるようになったのだから。
現在では、多い時には二十数名、少なくとも十数名の参加者がある。

あれからもう二十年になるのだ、と思うと感慨深い。
来年三月(あるいは四月)には、これを記念して、吟行会を
開く予定。あまり大きなことはできないが、ここにたどり着けたことを、
歌会の仲間みんなで、喜び合いたい。
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