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題詠「踏」 [短歌]

毎月第一日曜恒例の横浜歌会では、三か月に一度ずつ、
題詠を一首、自由詠一首による歌会を行っている。

五月は題詠の月で、お題に出されていたのは「踏」
普通に何かを「踏む」と言う作品が多かったが、他に
舞踏病、影踏み、踏切などが登場した。私もこのお題で
七、八首作ったので、そのなかに影踏みや踏切も
詠んでいたのだが・・。うまくいかず。

今回題詠作品としては、「韻を踏む」で作った歌を
提出した。

  七色の縫い取りのある布沓かN音やわき韻を踏めるは
                      岡部史

指摘してくれた方もおられたが、N音の頭韻を踏んだつもりの
言葉遊び的な歌のつもりだった。ナ行の音のことばを1句から
3句まで頭に入れたので、すぐにわかる、と思ったのだけれど。
詠草になってから気づいたのは、「踏む」から連想して
「沓」を引き出したけれど、頭韻ではちょっとイメージが
結びつきにくかったかな、ということ。でも自分では
ちょっと冒険したつもりだった(Sさんだけ票を入れてくれた)。

自由詠の方にも「踏」と言うお題について詠んだ歌を提出した。
こちらこそ抽象的な作品で分かりにくいのでは、と思ったのだが、
割合に好評だったので、ちょっとびっくり。

  おびえ、おそれ、長くためらい そののちは味わうようにゆっくりと踏む
                             岡部史

遠藤周作の『沈黙』を思い出しながら詠んだ踏み絵の歌だが、
具体は何も詠んでいないので、どう読まれてもいいや、と
思って提出した歌。素敵な批評も頂いて、幸せな歌になった。

先ほど届いた「塔5月号」の百葉集に次の歌をみつけて驚く。

  影踏みの鬼にとある日影踏まれ友は体に閉ぢこめられぬ
                   竹下文子

恐い歌で、読んで震えた。こちらは閉じ込められたんだな、と。
横浜歌会に提出されていた影踏みの歌は、踏まれたのち、
「身から何かが抜けた」というような意味の歌だった。
子供の日の遊びからは、不思議な体感を長く刻み付けられる
ことが、案外多い、ということか。踏む、踏む、踏む・・・・。
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