ペルー旅物語(その7) [旅]
マチュピチュで一番心に残ったのは、石造りの建物、
ではなく、斜面にびっしりと刻まれた、段々畑の痕だった。
周囲から隔絶した地の城塞都市は、こうした生産の場を設けなければ、
生き延びることはできなかったことは明らかなのだけれど。
狭い土地をいかに有効利用していたか、その勤勉さに頭が下がった。
日本も利用できる平地が限られている地域が多く、あちこちに段々畑が
発達したけれど。その管理の大変さに、消えゆこうとしている。
アンデスでは、それこそどこにでも段々畑が見られ、人々は
上り下りを繰り返しながら、耕作や収穫作業を行う。こんなに空気の薄い
地域で、大変だろうと思ってしまう。使っている農機具もかなり原始的な
ものばかりで、生産性はかなり低いように見えた。
マチュピチュの遺構のまわりを、リャマがうろうろと歩き回っている。
近くの人が飼っているのだろう。駅前があんなに混んでいたのに、
遺跡にはさほどの観光客はおらず、ゆっくりと回ることができた。
バスの運行体制が整っていないのだろう。
帰りのバスを待っているとき、現地の少女と片言ながら話を交わすことができた。
弟と一緒だという少女は十歳くらいだろうか。一緒に写真を撮って
もらうことができたのだけれど。残念、弟の方は、靴紐を直そうとして
屈んでしまいました。
ではなく、斜面にびっしりと刻まれた、段々畑の痕だった。
周囲から隔絶した地の城塞都市は、こうした生産の場を設けなければ、
生き延びることはできなかったことは明らかなのだけれど。
狭い土地をいかに有効利用していたか、その勤勉さに頭が下がった。
日本も利用できる平地が限られている地域が多く、あちこちに段々畑が
発達したけれど。その管理の大変さに、消えゆこうとしている。
アンデスでは、それこそどこにでも段々畑が見られ、人々は
上り下りを繰り返しながら、耕作や収穫作業を行う。こんなに空気の薄い
地域で、大変だろうと思ってしまう。使っている農機具もかなり原始的な
ものばかりで、生産性はかなり低いように見えた。
マチュピチュの遺構のまわりを、リャマがうろうろと歩き回っている。
近くの人が飼っているのだろう。駅前があんなに混んでいたのに、
遺跡にはさほどの観光客はおらず、ゆっくりと回ることができた。
バスの運行体制が整っていないのだろう。
帰りのバスを待っているとき、現地の少女と片言ながら話を交わすことができた。
弟と一緒だという少女は十歳くらいだろうか。一緒に写真を撮って
もらうことができたのだけれど。残念、弟の方は、靴紐を直そうとして
屈んでしまいました。