翻訳推理小説 [文学]
子供の頃は夏休みになると、よく推理小説を読んだ。
私は江戸川乱歩などを除いて、翻訳物の方が好きで、
例えば、ディクスン・カーなんか、かなり入れ込んで
読んでいた時期があったように記憶する。
それで久しぶりにカーの作品を手にとったのだが。
題名だけだと読んでいるように記憶していても、
読み始めると「あれれ、こうだったかな、少しちがうな。
いや、まったくちがう。読んでいなかったのか・・」
などなど、記憶の曖昧さの方が気になることが多いのだった。
理由は何だろう。
1、子供向けにかなり脚色、あるいは省略されていた
2、記憶が薄れ切っているのに、覚えていると錯覚
3、読んだものを自分の想像や、他の作品と混合して記憶
さて、どのあたりが一番真実に近いだろう。私自身は3番あたりかな、
と思うんだけれども。とにかく、読む楽しみの他に、記憶をたどる
楽しみまでおまけについてくるので、なんだか得しているみたい(アホか)。
ディクスン・カー読み終へしのち頭(づ)を振りて郵便受けを覗きにゆけり
栗木京子『ランプの精』
栗木さんはカーの、どの作品を読んでいたんだろう。
私は江戸川乱歩などを除いて、翻訳物の方が好きで、
例えば、ディクスン・カーなんか、かなり入れ込んで
読んでいた時期があったように記憶する。
それで久しぶりにカーの作品を手にとったのだが。
題名だけだと読んでいるように記憶していても、
読み始めると「あれれ、こうだったかな、少しちがうな。
いや、まったくちがう。読んでいなかったのか・・」
などなど、記憶の曖昧さの方が気になることが多いのだった。
理由は何だろう。
1、子供向けにかなり脚色、あるいは省略されていた
2、記憶が薄れ切っているのに、覚えていると錯覚
3、読んだものを自分の想像や、他の作品と混合して記憶
さて、どのあたりが一番真実に近いだろう。私自身は3番あたりかな、
と思うんだけれども。とにかく、読む楽しみの他に、記憶をたどる
楽しみまでおまけについてくるので、なんだか得しているみたい(アホか)。
ディクスン・カー読み終へしのち頭(づ)を振りて郵便受けを覗きにゆけり
栗木京子『ランプの精』
栗木さんはカーの、どの作品を読んでいたんだろう。