万葉翡翠(その4) [旅]
助教授は引き出しから文庫本の万葉集を出し、その頁を繰って
開いた。「これだ!」学生たちは教授の抑えた指先に目を集めた。
渟名(ぬな)川の 底なる玉 求めて得し玉かも 拾ひて 得し玉かも
惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜しかも
『万葉集巻十三 3247)』
松本清張『万葉翡翠』
清張の『万葉翡翠』が最初に発表されたのは1961年(「婦人公論」2月号)で、
清張はその小説の執筆時には小滝川のヒスイ峡を訪れてはいなかったとのこと。
来訪が叶ったのは1983年に企画されたNHKの番組「知られざる古代 日本海五千年」の
収録のため、ということだった。清張の小説、さらには糸魚川来訪が、
この地のヒスイに新たな局面を切り開く大きなきっかけとなったことは
間違いないだろう。
写真はその時に撮影された写真を掲載した新潟日報の記事(2022年12月13日付)
私もまた、ようやく清張が見た視野に立てたのだな、という感慨が湧いた。
開いた。「これだ!」学生たちは教授の抑えた指先に目を集めた。
渟名(ぬな)川の 底なる玉 求めて得し玉かも 拾ひて 得し玉かも
惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜しかも
『万葉集巻十三 3247)』
松本清張『万葉翡翠』
清張の『万葉翡翠』が最初に発表されたのは1961年(「婦人公論」2月号)で、
清張はその小説の執筆時には小滝川のヒスイ峡を訪れてはいなかったとのこと。
来訪が叶ったのは1983年に企画されたNHKの番組「知られざる古代 日本海五千年」の
収録のため、ということだった。清張の小説、さらには糸魚川来訪が、
この地のヒスイに新たな局面を切り開く大きなきっかけとなったことは
間違いないだろう。
写真はその時に撮影された写真を掲載した新潟日報の記事(2022年12月13日付)
私もまた、ようやく清張が見た視野に立てたのだな、という感慨が湧いた。
2023-06-03 10:11
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