塩の道資料館 [旅]
松本清張も訪れたというヒスイ峡を、四十年遅れで訪ねることができた、
糸魚川への旅。でも思いがけないところにも、意外な収穫があったりするもの。
旅の二日目。兄夫婦が糸魚川の渓谷沿いにあるホテルを予約してくれて、
そこに一泊することに決まっていたのだが。途中、兄が、塩の道資料館、という
ところに寄ろう、と提案してきた。午前中にヒスイ峡を回り、食事をした後、
相馬御風の生家を見たり、一度自宅へ戻って、猫の世話(なんと三匹も飼ってる!)
をしたりした後である。もう午後三時を過ぎていた。
それなのに、塩の道資料館、なる建物がなかなか見つからない。
運転のプロである義姉も、スマホのアプリのナビ機能を操作しながら、
「この近くのはずなんだけれど」と、困惑した表情である。
私が食文化に興味がある、ということを知っていて、旅の行程を考えてくれている、
とわかっていたが、なんだか申し訳ない気持ちもして、「わからないなら、
次の機会にしようか」と提案したのだけれど・・。
小さな山沿いの道をくねくねと入っていったところにようやくみつけたのは、
もう四時に近い時間だった(開館時間は、四時までだった!)
そして、建物の前に立った時は、三人で、思わずのけぞった。
私と義姉とで、唖然としている間に、兄はさっさと建物に入っていき、
入場券を買ってくれている。
「なんか、ドン引きするよね」
と義姉は笑っている。
一歩入るなり、古色蒼然としながら、かつての塩の道を歩いた人々、背負って
歩いた人を歩荷(ぼっか)と言い、牛に背負わせて引いた人を牛方という、
彼らの息遣いまで聞こえるような展示物に、圧倒されたのである。
一人五十キロを運んだ、というその塩俵の模造品もあり、私などは
持ち上げようにも、びくともしない。ニヅンボウと呼ばれる杖は、山道を行くときは
単なる杖だが、先端がL字型になっていて、途中でこれを背中に回し、荷物の下に
挟んで、立ちながら休むための、スタンドになるように作られているのだった。
他にも、運搬に使われたという牛のための道具などが揃っていて、
ガニと呼ばれる、牛の脚を保護するための縄でこしらえた靴状のものなども
あり、とても興味深かった。木造三階建ての、もう傾きかけているようなこの
建物に、塩の道を支えた沢山の道具類が所狭しと並んでいるさまは、壮観、としか
言いようがない。
説明してくれた資料館の女性も、素晴らしかった。もう開館時間を過ぎているというのに
嫌な顔ひとつせず、身振りを交えてじつに丁寧に教えて下さって・・・。
また、たぶん塩の運搬とは直接関係はないと思うのだが、積雪を利用して、
山から海側に物を運ぶのに使ったという、大ぞりは凄い存在感を示して
他を圧倒していた。
写真下の館員の人は伸長150センチ強。大ぞりの高さは三メートルを優に超えるだろう。
写真からもその迫力は十分に感じて頂けるのではないだろうか。
塩の道は、糸魚川から松本に続く、千国街道と呼ばれるおよそ、百二十キロほどの
行路である。途中は山道もあり、運搬は大変な重労働であったらしい。
一度、自分の脚で歩いて見たいなあ、とも思う。難路ではあるが、白馬沿いの、
景色の美しいところであることには、間違いないらしい。
糸魚川への旅。でも思いがけないところにも、意外な収穫があったりするもの。
旅の二日目。兄夫婦が糸魚川の渓谷沿いにあるホテルを予約してくれて、
そこに一泊することに決まっていたのだが。途中、兄が、塩の道資料館、という
ところに寄ろう、と提案してきた。午前中にヒスイ峡を回り、食事をした後、
相馬御風の生家を見たり、一度自宅へ戻って、猫の世話(なんと三匹も飼ってる!)
をしたりした後である。もう午後三時を過ぎていた。
それなのに、塩の道資料館、なる建物がなかなか見つからない。
運転のプロである義姉も、スマホのアプリのナビ機能を操作しながら、
「この近くのはずなんだけれど」と、困惑した表情である。
私が食文化に興味がある、ということを知っていて、旅の行程を考えてくれている、
とわかっていたが、なんだか申し訳ない気持ちもして、「わからないなら、
次の機会にしようか」と提案したのだけれど・・。
小さな山沿いの道をくねくねと入っていったところにようやくみつけたのは、
もう四時に近い時間だった(開館時間は、四時までだった!)
そして、建物の前に立った時は、三人で、思わずのけぞった。
私と義姉とで、唖然としている間に、兄はさっさと建物に入っていき、
入場券を買ってくれている。
「なんか、ドン引きするよね」
と義姉は笑っている。
一歩入るなり、古色蒼然としながら、かつての塩の道を歩いた人々、背負って
歩いた人を歩荷(ぼっか)と言い、牛に背負わせて引いた人を牛方という、
彼らの息遣いまで聞こえるような展示物に、圧倒されたのである。
一人五十キロを運んだ、というその塩俵の模造品もあり、私などは
持ち上げようにも、びくともしない。ニヅンボウと呼ばれる杖は、山道を行くときは
単なる杖だが、先端がL字型になっていて、途中でこれを背中に回し、荷物の下に
挟んで、立ちながら休むための、スタンドになるように作られているのだった。
他にも、運搬に使われたという牛のための道具などが揃っていて、
ガニと呼ばれる、牛の脚を保護するための縄でこしらえた靴状のものなども
あり、とても興味深かった。木造三階建ての、もう傾きかけているようなこの
建物に、塩の道を支えた沢山の道具類が所狭しと並んでいるさまは、壮観、としか
言いようがない。
説明してくれた資料館の女性も、素晴らしかった。もう開館時間を過ぎているというのに
嫌な顔ひとつせず、身振りを交えてじつに丁寧に教えて下さって・・・。
また、たぶん塩の運搬とは直接関係はないと思うのだが、積雪を利用して、
山から海側に物を運ぶのに使ったという、大ぞりは凄い存在感を示して
他を圧倒していた。
写真下の館員の人は伸長150センチ強。大ぞりの高さは三メートルを優に超えるだろう。
写真からもその迫力は十分に感じて頂けるのではないだろうか。
塩の道は、糸魚川から松本に続く、千国街道と呼ばれるおよそ、百二十キロほどの
行路である。途中は山道もあり、運搬は大変な重労働であったらしい。
一度、自分の脚で歩いて見たいなあ、とも思う。難路ではあるが、白馬沿いの、
景色の美しいところであることには、間違いないらしい。
2023-06-08 09:40
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