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米沢・半世紀(その3) [旅]

米沢駅に出迎えてくれていたYさんの車で、昼食を摂るために
案内されたのは、よそから来たものには絶対に見つけられないような、
まさに「隠れ家」的な郷土料理店。私が米沢の郷土食に興味を持って
いたことを知って、手配してくれていたのだった。古い民家をそのまま
利用したお店で、中庭には鯉が泳ぐ池も見える。

席は囲炉裏のそば。寒い日だったので、そのぬくもりが有難く。
囲炉裏の火で焼いたお餅が最初に登場するのにもびっくり。
茄子のもろみ添え、辛子醤油で食べるおかひじきや、こしあぶらも
抜群の美味しさだった。さらにうこぎ! 米沢で、垣根に植栽する
うこぎの若芽を食用する、ということを知ったのは、何年か前に観た
テレビ番組「秘密の県民ショー」でのこと。米沢に暮していたのに、
こういう食べ物、全く知らなかったなあ、と感慨深い。
うこぎご飯は、加減抜群の塩味。やわらかい苦みが舌に心地よい。

米沢は貧しい町だったが、名君・上杉鷹山の登場で、様々な
産業の振興が図られてきたことでしられている。米織や鯉の養殖などが
有名だけれど、うこぎの植栽・食用化などもその一つと知ると、この
名君の、民衆の生活の細やかな部分への配慮が感じられて、感動する。

Yさんにはその後、米沢市の「織」や「染」「縫」に触れることのできる
場所へ案内してくれた。米沢民芸館は、古い民家の中に古代の様々な織物が
展示してあって、その素材の多様さに驚かされた。楮、葛、麻、からむし、
いらくさ、などなど。榀の布、というものもあって、あらゆる植物が
衣料への利用を試みられた結果なんだろう。こうした蓄積が、後の米織
への道を拓いたんだなあ、とあらためて思った。

次いで、近所の遠藤きよ子さんの工房へ移る。遠藤さんは米沢に伝わる刺し子の
名手として世界的にも知られている、八十代半ばの女性。米沢の刺し子は
原方刺し子と呼ばれ、上杉藩の下級武士の妻たちが、布を繋ぎ合わせ、
丈夫にするために施したのが始まりらしい。こうした手仕事は、たとえば、
アメリカ南部辺りに伝わる、キルトにも通じるものがあって、面白い。
キルトもまた、古くなった布地の傷みの少ない部分を切り取って接ぎ合せて
作る、いわゆる再利用の文化が発端なのだから。       (続きます)
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