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米沢・半世紀(その2) [旅]

見ず知らずの女性、米沢市在住のYさん。頂いたお手紙にお礼の
葉書(こちらのメアドを記した)を出すと、すぐにメールがあり。
それから短期間に、電話やらメールや手紙のやり取りをし、四月中旬に
米沢で二泊する計画を立ててしまったのだ。あれこれと先の細かいことを
思い悩み、なかなか行動が伴わないことも多い私にしては、異例の
決断となった。米沢以外にどこを訪れるか、の方はかなり悩んだのだが。

子供の頃に育った小国町へも足を運びたい。ただ、昨年七月の羽越災害で
米坂線は大きな被害を受け、以来運休が続いている。代行バスが出ている
はずなのだが、我が家の近くのJR駅の券売機では、小国町までの切符は
買えなかった。臨時バスの運行が不確か、ということだろうか。

小国町には、頻繁に連絡を取り合っている幼友達がいる。メールすれば
いつも半日足らずのうちに返信をくれていた。のだが・・・。
年明けてからというもの、まったく連絡がない。この度、あらためて
メールしてみたが、返事がなかった。米坂線も走っていないなら、
小国町にいくのはやめよう。直前になってそう決断する。

米沢興譲館高校を転校のために退学してから、なんと五十五年。
半世紀ぶりの米沢を見る、ということを主目的にしよう、と決めた。

米沢へ発つ日。少し早めに起きて、早めにタクシー会社へ電話する。
ところが、なんと十五分待っても、タクシーが来ない。普段なら五分、
おそくても十分で着くのが普通なのに。このままではYさんと約束していた、
米沢にお昼過ぎに着く山形新幹線に間に合わなくなる!
ぎりぎりになって、歩いて駅へ出る決断をする。なんとも不穏な出だし
だった。それからも、あれこれとハプニングが続き・・・。
思えば、このコロナ禍の三年間、旅行したのは、東海道新幹線を使っての
京都(「塔」のシンポジウムと編集会議のため)と名古屋(やはり「塔」の
社団法人の会に出席のため)の三度だけ。我家から新横浜はすぐなので、
その便利さに慣れていて、これらは、旅のうちに入らないくらい楽ちんだった。

それ以外の場所に行くことなく過ごしている間に、どうも旅の感覚が
なまってしまっていたようだ。加えて、あちこちにあった有人の切符売り場が
閉鎖されていて、いたるところ自販機のみとなっている(我が家の最寄り駅も)。
その上、駅員や乗務員の数も極端に減っていて、実に不便になっていた。
何とか無事、米沢駅でYさんに会えた時は、心底ほっとしたのだった。
                     (この項、続けます)
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