シャーロック・ホームズ・続 [読書]
図書館で急にホームズの「まだらの紐」の細部を
覚えていないことに気がついた私は、文庫本の棚から
筑摩書房版のシャーロック・ホームズ全集を手にとった。
一冊一冊がずいぶん分厚い。全部で10巻もあるというのに。
ちょっといぶかしく思いながら、内部に目を通して、
仰天した。この文庫版の全集では、コナン・ドイルが手掛けた
ホームズ・シリーズは紙面の上部に掲載されているのみ。
紙面の半分は、「注」が占めているのである。
本文の流れと同時進行的に読めるように配慮したものだろう、
ところどころは空白、中にはほとんど空白、と言う作品
(たとえば『恐怖の谷』、これはほとんど「注」がない)も
あれば、「注」が長すぎるため、本文の頁を大きく後退させて
一面全部を「注」が占めている頁さえある。
これ等の「注」とは、ドイルがホームズシリーズを発表してから
現在に至るまで、引きも切らないホームズ・ファンたちが、
作品の内容について、細かく精査し、ときにドイルの
矛盾を突き、時に作品に登場する人物のモデルを詮索し合い、
作品の実際の舞台を探り当てたりした、その大量の
「成果」そのものだった。う~ん、凄い…。
私はちくま文庫版のホームズ全十巻を読むことにし、
まず第二巻を借りた。というのは、第一巻の冒頭から
七、八割は作品そのものと「注」とのコラボ、ではなく、
全体の解説のようなもので占められていたからである。
家に帰って、相棒に凄いホームズシリーズを見つけたよ、
とやや興奮して告げると、相棒も「わっ、これ、凄い!」
と乗ってきた。「どうして第一巻から、借りないの?」
と、なじるように言う。
文庫本の耳についている、全十巻の作品一覧を見ながら
「第一巻にも、少しだけれど、作品が載っているよ」
と言い出し、すぐに自分で借りてきた。
「この解説っぽいところは、十巻まで全部読んでから、
もう一度借りてよめばいい」と言って。
そうしてしばらく、我が家ではホームズの話題が
飛び交うようになったのである。(続きます)
覚えていないことに気がついた私は、文庫本の棚から
筑摩書房版のシャーロック・ホームズ全集を手にとった。
一冊一冊がずいぶん分厚い。全部で10巻もあるというのに。
ちょっといぶかしく思いながら、内部に目を通して、
仰天した。この文庫版の全集では、コナン・ドイルが手掛けた
ホームズ・シリーズは紙面の上部に掲載されているのみ。
紙面の半分は、「注」が占めているのである。
本文の流れと同時進行的に読めるように配慮したものだろう、
ところどころは空白、中にはほとんど空白、と言う作品
(たとえば『恐怖の谷』、これはほとんど「注」がない)も
あれば、「注」が長すぎるため、本文の頁を大きく後退させて
一面全部を「注」が占めている頁さえある。
これ等の「注」とは、ドイルがホームズシリーズを発表してから
現在に至るまで、引きも切らないホームズ・ファンたちが、
作品の内容について、細かく精査し、ときにドイルの
矛盾を突き、時に作品に登場する人物のモデルを詮索し合い、
作品の実際の舞台を探り当てたりした、その大量の
「成果」そのものだった。う~ん、凄い…。
私はちくま文庫版のホームズ全十巻を読むことにし、
まず第二巻を借りた。というのは、第一巻の冒頭から
七、八割は作品そのものと「注」とのコラボ、ではなく、
全体の解説のようなもので占められていたからである。
家に帰って、相棒に凄いホームズシリーズを見つけたよ、
とやや興奮して告げると、相棒も「わっ、これ、凄い!」
と乗ってきた。「どうして第一巻から、借りないの?」
と、なじるように言う。
文庫本の耳についている、全十巻の作品一覧を見ながら
「第一巻にも、少しだけれど、作品が載っているよ」
と言い出し、すぐに自分で借りてきた。
「この解説っぽいところは、十巻まで全部読んでから、
もう一度借りてよめばいい」と言って。
そうしてしばらく、我が家ではホームズの話題が
飛び交うようになったのである。(続きます)
2018-07-01 08:12
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