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本の虫(その4) [読書]

中学校に入学すると間もなく、私は学校の図書室に
出かけて行った。また新しい本との出会いを期待していたのに、
中学校の図書室は、まったく最低のところだった。
ごく普通の教室一つを図書室に使っているだけ、というのは
田舎の中学なんだから仕方ないにしても、閉架式、と聞いて、
全く落胆した。図書室の前にカードケースを収めた棚があって、
読みたい本のカードを選んで、図書係に渡す仕組みになっている。
カードケースの前は混んでいて、まったく近づけないことさえあった。

書棚の前に立ち、まず背表紙をあれこれと眺めながら
内容を想像し、何冊かは書棚から引き出して、
ぱらぱらとめくってみて、判断する。その時間が楽しいのに、
なんという味気ない図書館なんだろう・・・。
あの時に、もう少しましな図書室だったらなあ、と
つくづく残念に思う。読めば夢中になり、乾いた海綿のように、
なんでも吸収できる柔軟な頭を持っていた大切なあの時期に。

私は中学校の図書室から一冊も借りずじまいだった。
図書カードさえ作らなかったのである。
でも、マシだったのは、部活のテニスが楽しかったこと。
晴天の日曜日は、部活のために登校するようにさえなった。
読書はしなかったが、体は鍛えた。それはそれでよかった、
と今は思うのである。

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本の虫(その3) [読書]

翻訳少女小説(そして少女漫画にも)に強く惹かれながら、
母にきつくたしなめられて消沈していた私。
それからまもなくの、小学校五年生の頃に利用していた
図書館に、新しい本がどっと並んだ。ポプラ社から刊行された
「江戸川乱歩全集」である。これは子供たちに大人気で、
たちまち取り合いになった。噂を聞いて図書館に駆け付けた
私は、最初の二、三回はまったく目にすることさえできず。
返却されるの待ち伏せするようにして、借りることに。

その怪しい魅力についのめりこんでしまったのだが・・・。
少女小説を巡って母にきついお目玉を食らっていた時は、
あからさまに見方はしてくれなくても同情的だった父は、
江戸川乱歩にのめり込む娘を良くは思っていなかったらしい。
図書館の本だから仕方ない、という態度だったが、
私も思い切り読みふける、ということはできにくい
雰囲気になってしまった。
我が家では、休日の朝は両親とも起床時間が遅かったので、
私はこっそり早起きして乱歩を読んでいた記憶がある。

同時期に、ホームズやルパンなども読み始めた。
でも、自由に読める本が少なすぎた。続けて読もうとしても
図書館には入っていなかったり、貸し出し中が続いて
借りられなかったりする。そして、小学校卒業を迎えてしまう。
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本の虫(その2) [読書]

文字が読めるようになって、たちまちのめり込んだのは、
実は漫画の方だった。最初に読んだのが近所のお姉さんが
貸してくれた「なかよし」掲載の「ぺスよ尾をふれ」だったことも
よく覚えている。「りぼん」の「おてんば天使」や「おはようコロタン」も
好きになり、これ等の月刊漫画雑誌が読みたくて気が狂うほど
だったけれど、母が少女漫画を異常なほど嫌っていて、
借りてきて読んでいてさえ、つけつけと文句を言われた。
まして購入してもらえたのは風邪をひいて寝込んだ時くらい。

小学校三年になるときの春休み、毎年祖母の家に出かける途中、
山形の駅前の書店で一冊好きな本を選んでよい、と言われていて、
私は美しいイラストに惹かれて『天使の花かご』を手にした。
これを機に、私は翻訳版の少女小説にのめり込むことになった。

『天使の花かご』は、最近ネットで調べてみてわかったのだが、
ドイツの作家シュミットの作品で、翻訳は谷村まち子のものだった。
偕成社の「少女名作シリーズ」の一冊だったことは良く覚えている。
この本は近所の同年代の友人に愛され、そして「面白かった」
という友人たちは、このシリーズから別の本を購入して
私に貸してくれた。それで私は『悲しみの王妃』(マリーアントワネットの
伝記)、オルコットの『美しいポリー』を読んだのである。

私はこの名作シリーズが他に十数冊出ていることを知って、
母に「全部読みたい」と言って、あきれられた。それで
私は自分の『天使の・・』のみならず、友人の『悲しみの‥』も
何度も借りては繰り返し読み、読んでは泣いたりしているので
(悲劇的内容なのだ)母はしまいは激怒し、
少女小説禁止令が発令されてしまった。
私は今もそうだが、夢中になると周りの音が聞こえなくなり、
母から頼まれる用事に、生返事するようになったことが
母の逆鱗に触れてしまったらしかった・・・・。




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本の虫 [読書]

本の虫、別名活字中毒。英語にもbookwormなる言葉が
あって、紙魚のことだが、転じて読書狂を指す。

私は平仮名を全部読めるようになったのが小学校入学
直前、と遅かったので、文字が読めるようになった時の、何か
異なる次元に立ったような感じ、見知らぬ世界への扉が突然
開き、明るい世界へ飛び出したような感覚を、微かながら覚えている。

早速、近所のお姉さんに、図書館に連れて行ってもらって
貸出カードを作ってもらい、二冊借りた。この図書館は、
父の会社の労働組合会館に付設された小さなもので、
学校の教室半分くらいのところに、書架がせいぜい十数面、
というところ。子供用の書架は三棚くらいだったけれど、
好きな本を借りられる、ということに驚嘆したことも覚えている。

その時に借りた一冊は、『チロリン村とクルミの木』、
当時、テレビで放映されていた人形劇の物語版で、表紙に、
くるみのクル子ちゃんなど登場する人形の写真が使われていて、
目を引かれたからだ。それと
子供向きにリライトされたジャックロンドンの『荒野の呼び声』。
これは、たぶん一緒に行った年上の友人が勧めくれたからでは
なかっただろうか。私はこちらの方の本を夢中になった。
物語の世界に没頭していく、きっかけになった本だった。
         (この項、続けます)

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『事典 和菓子の世界』 [読書]

2006年に発刊された中山圭子著『事典 和菓子の世界』(岩波書店)。
このたび増補改訂版が出た。著者の中山さんは虎屋文庫の研究員を
しておられ、現在は同社の取締役。私は十年くらい前、
虎屋文庫をお尋ねした際、お会いしたことがある。
今回の改訂版は、中山さんご自身からご寄贈頂き、感動して
いるところ。そしてまず、旧版とどう違うのかな、その違いを
じっくり確かめて、楽しんでいるところ。

表面上の違いは、1、箱がなくなった。表紙がソフトカバーに。
2、紙質が薄くなり、色も白からベージュに。
3、フッターの緑線が消えた 4、カバーの絵が明るく親しみ
易いものに変わった・・・。などなど。
全体に軽さが強調され、手に取りやすくなった感じ。

内容面で一番大きな差異は、「絵が語る和菓子の歴史」
というコラムが追加されたこと。コラムとはいえ、連続して
15頁もあり、一項として独立した章をなすような読み物に
なっている。絵もなかなか貴重なものが多く、楽しめる。

今回改めてこの書を手にして、きちんと通読はしていなかった、
ということを思い出した。箱入りの「事典」感覚の本は、
いつも身近の書棚に置いていて、調べたい時にぱらぱらと
「見ていた」けれど、「読んで」はいなかったなあ、と。

たとえば「第一部 名称編」の冒頭に登場する「あこや」という
お菓子。私は全く知らないでいて、改訂版を手に取って、初めて
気がつき、じっくりと読んだ次第。こんな項目がまだいくつもある。
今回の改訂は、ハード面から、明らかに「事典」から「読み物」へ、
という編集方針の転換があり、それは功を奏しているように思える。

自分が『郷土菓子のうた』で取り上げようと思ったお菓子の項は、
敢えて読まないようにしたことも記憶にある。中山さんと
お菓子へのアプローチの仕方が似ている部分があるので、
引き寄せられないように、あえて遠ざけていた部分もあったのだ。

今回は、そんな懸念もなく、心おきなく読めるのが有難く、
何重にも得してしまったような気分。
掲載されているお菓子の写真も、実にきれいに撮れているし、
ベージュ色の誌面に柔らかくなじんでいる感じがする。
目にもおいしい一冊です!
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『チョコレートの世界史』 [読書]

お菓子の文化について調べている私、甘味関係の本が
出版されると「すわ」とばかり手を伸ばす。
お菓子の分野で一番多く目につくのは、「チョコレート」の
関連本かもしれない。私の書棚にも『チョコレートの歴史」
『チョコレートの本』『チョコレートの文化誌』
『チョコレートものがたり』『チョコレートの博物誌』などなど、
七、八冊は並んでいる。最近では、チョコの本だと、「またか」
となって、もうあまり購入しなくなった。もっとも最近買った
チョコの本は、武田尚子『チョコレートの世界史』(中公新書)。

チョコレートと、ヨーロッパの労働者を巡る社会的な発展とを結び付けて
論じてあり、これまであまり見ないタイプの「チョコ本」だった。
賃金労働者層の増大化と近代的な生産組織の発展の中で、
チョコレートが果たした役割が丁寧に描き出されていて、読み応えがある。

私は、日本の北九州地区で様々のお菓子が創作され、その後日本の定番の
お菓子として定着していった例とダブらせながら読んでいた。
賃金労働者は、個人の可処分所得が比較的潤沢であること、
また厳しい労働ほど、甘味が欠かせないことなども、
甘味文化の発展に寄与する大きな要因になってきたからである。

でも、この『チョコレートの世界史』にも少々疑問な点もある。
「キットカット」に誌面を摂りすぎではないだろうか。
新書だからせいぜい二百べーじ余りのこの書の、七分の一くらいが
「キットカット」に割かれている。キットカットは一会社の
商品名に過ぎず、また確かにチョコレートが含まれているが、
表面に薄くコーティングしてあるだけ。チョコ、というより単なるお菓子、
の印象が強い。「チョコレートの世界史」にこれほどの登場機会を
与えてしまうことは、バランスを欠くのではないかな、と思うのである。

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昆虫図鑑 [読書]

栗木京子歌集『南の窓から』を読んでいたら
「心が沈みがちな日は、昆虫図鑑をひらく」と
いう詞書のついた一首があった。

  粉状のアブラムシ喰ふ粒ほどのテントウムシをり緑の世界
                       栗木京子

ちょっと気持ち悪い場面なのだが、結句でうまく逃がしてある。
さすがだなあ、と思いつつ、そういえば私、昆虫図鑑を手元に
持っていないことに気が付いた。数年前、父母の家の書棚整理を
手伝っていた時に、小学生の頃に使っていた昆虫図鑑が出てきたので、
持ち帰ってみてみると、なんとかなりの昆虫がすでに絶滅している
あるいは環境が変わって、周囲で見られなくなっている、ということを
知り、愕然としたのだった。その代わり、異なる種類の昆虫も
見られるようになっているらしいのだが。

新しい図鑑を買おうと思いながら、延び延びになっていた。
植物図鑑は何種類も持っているのに、昆虫だけ全く
手元になかったのは、相棒の昆虫嫌いも理由の一つだった。
図鑑は結構値が張るものが多いので、いつも相棒の職場と
契約のある書店に注文してもらっていた(一割引になる)。
でも相棒は昆虫図鑑だけは、無視してくれてたみたいだ。

さっそく、購入のために調べてみることにする。
図鑑に私が求めるのは、種類の豊富さ、写真の鮮明さ、
さらに過不足ない説明が付されていること。

そこで選んだのが『日本の昆虫図鑑1400』(文一総合出版刊)。
二巻に分かれていたので、とりあえず第一巻のチョウ・バッタ・
セミ編を購入する。評判通り、写真はとても綺麗。
種類も豊富で、ところどころに、楽しい解説もついている。
もう少し大判でもよかったかな、とおもうが(文庫版である)。
持ち運ぶには便利である。

開いてみると、やはり、昆虫はかなり不気味である。
でも、なんともユニーク。子供が夢中になるのもわかる。
生きている小さな怪獣、という趣があるからだ。

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旅情ミステリ [読書]

内田康夫という作家は名前を知っていたのみ。
作品には触れたことがなく、時々は、テレビドラマ化も
されていたが、私はテレビドラマというものを全く見ないので、
そちらも知ることなく、過ごしてきていた。

最近、にわかに興味を持ったのは、何のことはない、
今、追い込み作業中の「お菓子のうた」続編を書くにあたって、
必要に迫られたからだった。まったく、泥縄もいいところだ。

内田は旅情ミステリ作家として知られているらしい。
ますます、食指が動かなくなる。だいたい、あの手の小説は
長いだろうし。ミステリ好きの相棒にとりあえず、
聞いてみる。彼は即座に言った。
「ああ、あれ、つまらないよ」
「え、どうしてつまらないの? なんて本を読んだの?」
「浅見光彦が出てくるやつ。展開が論理的じゃないんだ」

う~ん、頼りにはならぬようだ。自分で読むしかない。
(当たり前なのである。長いから、自分に合いそうにないから
と、他人に頼ろうとするのがいけないのだ。資料の渉猟に
王道はないのだ・・・。)

反省して、内田の小説をどさっと、図書館から借りてきた。
とにかく、ずいぶんたくさん置いてあって助かった。
まず最初はパラパラ・・・。そうするうちに・・・。

なかなか面白い部分も出てきて、のめりこんでしまって
いる自分に気が付いた。その一冊が
『軽井沢殺人事件』である。でも、旅情もの、というのとは
かなり違う。それもそのはず、内田は小説家になってまもなく、
軽井沢に居をさだめ、ここを拠点に作家活動をしてきていた。
まさに、本拠地のことで、もう、面的に詳しい。

軽井沢についての知識が素晴らしく深く、その記述に
リアリティがあって面白いのである。
ただし、ミステリとしての筋の展開は・・・。
雑駁かな、という気がした。私はほかに二、三冊、
それもかなりのスピードで読んだので、印象批評を
出ないのだけれど、この作家はミステリという傘をさした、
地域情報ライターかも、という気がした。

『カラスの教科書』 [読書]

松原始著『カラスの教科書』(雷鳥社)が、めっぽう面白い。
著者は、大学で動物行動学を学んだ方で、
冒頭から、専門をカラスに選んだことを、いろいろ言い訳がましく
述べられているんだけれど、私は
「カラス、調べたくなる気持ち、当然じゃん」
と、返したくなる。カラスはかなり面白い鳥だと
思っているし。専門にして、一日中
追いかけてるなんて、羨ましくなるのだ。

そして著者の松原サンは、たちまち
「ほうら、カラスってこうなんだよ、面白いでしょ」
と展開してくる。ぼんやり面白い、とだけ思っていた私は、
専門的な裏付けを得て、鮮明に面白くなるのだった。

我が家の近くで見かけるのは、圧倒的にハシブトカラス。
でかくて、目力も凄い。先日は、庭で何やら激しい
羽ばたきの音がしたのでガラス越に見てみると、
二羽が激しくけんかしていた。塀の上にやや小さめの
一羽が見下ろしていたので、この雌を巡って争っていたらしい。

一羽が、ついにもう一羽をあおむけにし、足でぐいっと
おさえつけて顔のあたりを激しく突き始めた。不利な体勢の一羽は、
背中を地面の上で滑らせながら、逃れようと必死になっている。
身近に観たので、ものすごい迫力だった。

近くの公園で、ハト狩りをするカラスを観たこともある。
その様子が執拗で、凄く残酷なのに驚かされた。
松原サンは
  なまじ戦闘力が弱いために、仕留めるのに手間取ったり、
  見るからに弱い相手しか襲えないので、「残虐」「卑怯」の
  レッテルを貼られてしまう。
と、かなりカラス側を弁護している。
毎日何時間もカラスと向き合っていると、愛情も
深まるんだろうなあ、とちょっとじんとなった。

『資本主義と奴隷制』 [読書]

E・ウイリアムズ著『資本主義と奴隷制』(理論社・1968年刊)。
この本も、相棒の書棚からみつけた。
A5判 300ページの大著である。
最初は訳文に堅さと
難解さも感じられ、読みづらかったのだけれど、いつのまにか
引き込まれ、読み上げてしまっていた。

初版は1944年、ノースカロライナ大学出版部から刊行されている。
この本の基本的部分は、1911年トリニダード生まれの著者が
オックスフォードに学んだ時に学位論文として提出した文章から成るという。
となると、構想されたのは、1930年代後半頃か。

十七世紀から十九世紀にかけての西インド諸島の経済的、社会的状況を
各方面からデータを集めて詳細に分析、検討を加えている。
そして、結論として
「西インド諸島のプランテーションを中心に、独占と奴隷制により
商業的資本主義が発達、それがイギリスの産業資本主義を育て上げ、
最終的にはその産業資本主義が商業資本主義を滅ぼした」
と、明言している。

この論説については、例えば増田義郎『略奪の海 カリブ』(岩波新書)
などで知っていたけれど、最初の提言者がこのE・ウイリアムズであり、
二十世紀の前半にはすでに、世に問われていた論説だったとは、初めて知った。

ウイリアムズはアフリカ系トリニダード人で、欧米では差別的待遇も
受けたようである。そうした状況の中で、彼はほかにも数々の著書を刊行している。
『コロンブスからカストロまで』(岩波書店・2000年刊)など。
さらに、トリニダードの独立のために奔走し、
1961年に独立した後、81年に亡くなるまで首相を務めたというから、
驚かされる。まさに、学説をものし、そしてその理論を
実践に移した、そんな人生だったに違いない。

西インド諸島の歴史的ダイナミズムが一人の人生の中に
凝縮されている、と感じる。