SSブログ

「ひた赤し」をめぐって [言葉]

私が所属する「塔短歌会」の会誌には、「八角堂だより」という
欄があり、毎月一頁分ずつ、選者が当番でエッセイを投稿している。
今年選者になった私は、今月初めてこの欄を担当した(締切は十月中旬)。
何について書くか、八月ごろから頭の隅に置き、時々考えていた。

短歌の雑誌なので、短歌について書く、そして、私は初登場なので、
ちらっと、自己紹介的な内容が含まれるものがいい、と思い、
出身地山形の歌人について書くことにした。茂吉はつとに有名だから、
山形に終生、居を置き、茂吉の山形における一番弟子とされた
結城哀草果について、茂吉と絡めて書くことにした。

 ひた赤し煉瓦の塀はひた赤し女刺しし男にものいひ居れば 
            齋藤茂吉『赤光』(1913年刊・初版)

 ひた赤し落ちて行く日はひた赤し代掻馬は首ふりすすむ
            結城哀草果『山麓』(1929年刊)

茂吉の作品の方は、1920年に刊行された改訂版『赤光』からは削除
されているのだが、この二首の構成の酷似と、それぞれの内容上の
相違について採り上げてエッセイとしてまとめ、八角堂に掲載した。

茂吉と哀草果について、改めて考えるきっかけを作ってくれたのは、
今年の四月、私を半世紀ぶりに山形訪問へと導いてくれた、
米沢市在住のYさんだったので、彼女にも「塔12月号」をお送りした。

すると、これも何という偶然だろう、哀草果の親族にあたる方たちとの
短歌講座に出席する前日に届いたとのこと、彼女は八角堂をコピーして、
参加者の方たちに、配ってくれたのだそうだ。

そこで、新たな発見があったのだとか。それは、「ひた赤し」である。
親族の方のお一人が、母親の暗誦によってこの歌を「した赤し」と記憶、
それを聞いていたYさんも「した赤し落ちて行く日はした赤し」と
記憶し、田の水に映る夕陽だとおもっていたのだとか!

考えて見れば「ひた赤し」という言い回しは、一般にはあまり聞かない。
「下赤し」なら、それなりに、普通に理解できる内容になるが。
茂吉は「ひた」という言葉が好きだったらしく、『赤光』にはほかに
「ひた走る」とか、結構使われている印象がある。

「ひた」について、広辞苑をひいてみると独立した項としては出ていないが、
「直謝り」とか「直染め」とか、熟語としては幾つも掲載されている。
「日本国語辞典」には、「直(ひた)」は独立して掲載されていて、品詞は
「語素」とある。あまり耳慣れない言葉だが、いろいろな使われ方をしていて、
単に接頭語とは言えないからだろう。

と、あれこれとまた、言葉の森を楽しくさまようことになった。
郷里の友人というのは、なかなかにありがたいものである。
nice!(0)  コメント(0)