SSブログ

あの日のリボン [生活]

遠い南西諸島に暮す同じ「塔」の仲間のYさんが、山形県出身で、
わずか三か月余りだが、私も席を置いたことのある高校の出身者だったという偶然。
彼女がこのブログを覗いてくれたようで、
「若草物語、が出てきました。ああ、岡部さんのお母さん!」と
メールに書いてくださったので、ああ、あのことだな、と思い出した。

2021年2月27日のブログで、母が私の9歳の誕生日祝いに『若草物語』を
贈ってくれて、嬉しかったが、それ以上に戸惑ったことについて書いたのだ。
子供の頃、私が近所のおばさんにピンクのリボンを髪に結んでもらって、大喜びで
帰ったら、母がいきなり背後から髪ごと摑んでむしり取ったこと、それほどに
「少女っぽい」ことを毛嫌いしていた母が、こんな「少女小説」を
買ってくれたことが、とても不思議だった、と。

そのことで、さらに思い出したことがあった。もう二十年位前になるが、
知人が子供の写真を見せてくれたことがあった。「七五三で、娘がこんな
お姫様スタイルがいい、って言うので」写真には、頭にティアラを載せ、
裾の長い、鮮やかな赤のドレス姿の女の子が、笑みを浮かべて写っていたが。

私は思わずのけぞりそうになり、気づかれないようにするのが大変なくらい。
だ、だって、おおよそ似合っていない! まるで滑稽なくらいに!
その女の子は、普通に愛らしい子である。彼女の名誉のためにもこれは
強調しておく。でも、でも、七歳の日本の女の子に、こういうスタイルは、
もう、酷なくらいに似合っていないのである。

その時に、突然、私は、髪のリボンをむしり取った母の心情が
理解できたのである。私もまた、滑稽なほど似合っていなかったから、
母は耐えがたかったのだろうと。毎日、日向を転げまわって、遊んでいた
七、八歳の田舎の子供に、ピンクのリボンはもう、冗談のように、
異質なものだったのだろう。

母を責めることはできない。私はその時に初めてそう思えた。
せめて母には
「こんな綺麗なリボン、おしゃれをするときのために取っておきましょう」
などと諭されて、静かに外してもらえたのだったら、と思う。まあ、
母の性格からして、そういうことは絶対に起きなかっただろうが。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0