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ペンネーム [言葉]

十日ほど前の日曜日、私が所属する「塔短歌会」の拡大編集会議が
Zoomを使って行われた。一年に二度、二十数名の編集委員が一堂に
会する、今後の「塔」の方向性を決める大切な会議である。

半年ごとに執筆者が交代する選歌欄評の執筆者の選定について
討議していたとき。編集会議は前もって「会議案」がたたき台として
提出されているのだが、ある編集委員から、案として挙がっていた複数の
執筆候補者の中の人に疑問が出された。文章力や批評力、作歌力などについて
質問が出ることはこれまで、少ないながらもあったのだが・・・。

この時の質問は、会員のペンネームに対してだった。
「作者としてなら、この名前でも良いが、批評者としてはどうだろうか?」

ペンネームについては、これまで、あまりにも突飛な名前で登場する会員は、
長く続かない、という事例が多かったので、「よく考えて、決めるように」
という注意を、何かの折に流れていたような記憶がある(さだかでないが)。

名前の問題は、結構根が深いところがある、とあらためて考えさせられる
一件だった。私のような、昭和生まれのものには、名前とはある程度
決まっているものの中から選んで付けられるもの、という固定観念の
ようなものがあり、誰もがその範囲に収まるような名前を持っていた記憶がある。

ペンネームは、戸籍上の名前程に限定はされていないものの、やはり
「人間の名前らしい名前」という、常識のようなものがあった。
それが、戸籍上の命名にいわゆる「きらきらネーム」などと呼ばれるような
自由な命名が流行し始め、もう漢字をみても、読みあげることはできず、耳にしても
漢字に置き換えることができないような名前が巷に溢れ・・・。

それに従って、ペンネームはまさに、自由闊達、天衣無縫、いや、
全くの無法地帯化しているような状況になってしまっている。
偶々、昨日「短歌研究7月号」が届き、新人賞発表号なので、候補者の
名前を挙げてみると

 平安まだら(受賞者) 吉村おもち 有川わさび 
このあたりは、まだ、氏+ややおふざけの名 というところだが、

 いぬなり 大甘 たろりずむ
など、氏と名、という枠組みを取っ払ってしまっている名前も多く。
中には
 「仮定法が好き」 からすまぁ
などというペンネームまであった。これを自由でいいなあ、と感じるか、
ふざけ過ぎ、とまゆを顰めるか・・・。
私自身は、少々厄介な風潮だと思ってしまう方である。せめて、一度そう
自分を称するなら、歌を詠み続ける限り、最後まで通すように、と強く思う。
変えるなよ、その奇体なペンネームを! 
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