万葉翡翠 [旅]
父の郷里は新潟県糸魚川市。子供の頃、我が家は新潟県村上市にほど近い、
山形県南西部の小国町で暮していた。年に一度か二度、一家で糸魚川の
祖父母の家に出かけることが恒例となっていたが、何しろ遠い。地図で
ご覧の通り、糸魚川は東西に長い新潟県の西端、一方の村上市はほぼ東端。
直線で二百キロ以上も離れているうえ、今もだが、当時はさらに国鉄の
連絡が悪く、朝五時過ぎの一番列車で小国町を出発しても、糸魚川に着くのは
夜八時半を過ぎていた。父以外は家族のだれも、この実家行を嫌っていた。
松本清張の『万葉翡翠』という短編を初めて読んだのは三十代くらいのとき。
数多い清張の推理小説のなかでは、並の作品、という印象で、特に心を
惹かれることはなかったのだが・・・。
四年余り前、父がもう危篤状態に入った頃、何となく手にした清張の
短編集の中に『万葉翡翠』が収められていて、再度読むことになり・・・。
短編の推理小説としては複雑になり過ぎていて、失敗作かな、という
印象は依然変わらなかったが、糸魚川の翡翠を題材にしているところに
心が留まった。糸魚川市内を流れる姫川。その美しい渓谷から
発見されると言う石のことは、子供の頃、何度も両親や祖父から
聞かされてきた。父に連れられて、姫川の河口で石拾いをしたことも
ある。もちろん、翡翠を期待したわけではなかったが。
母は父と婚約した時に、祖父から贈られた、という深い青緑色の
翡翠を加工した指輪を持っていて、とても大切にしていた。現在は私の妹が
母から引き継いでもっているのだが。他にも祖父の家の浴室の床には、
祖父が若い頃に姫川で拾ったという、翡翠の原石が埋め込まれていたことを
覚えているのだ(こちらは現在、行方知れずである)。
最後に糸魚川を訪れたのは学生時代の頃で、すでに半世紀近く過ぎている。
もう一度、糸魚川を訪れたい。清張が小説の舞台とした姫川の
小滝川沿いを歩いて見たい、と強く思うようになった。(続きます)
山形県南西部の小国町で暮していた。年に一度か二度、一家で糸魚川の
祖父母の家に出かけることが恒例となっていたが、何しろ遠い。地図で
ご覧の通り、糸魚川は東西に長い新潟県の西端、一方の村上市はほぼ東端。
直線で二百キロ以上も離れているうえ、今もだが、当時はさらに国鉄の
連絡が悪く、朝五時過ぎの一番列車で小国町を出発しても、糸魚川に着くのは
夜八時半を過ぎていた。父以外は家族のだれも、この実家行を嫌っていた。
松本清張の『万葉翡翠』という短編を初めて読んだのは三十代くらいのとき。
数多い清張の推理小説のなかでは、並の作品、という印象で、特に心を
惹かれることはなかったのだが・・・。
四年余り前、父がもう危篤状態に入った頃、何となく手にした清張の
短編集の中に『万葉翡翠』が収められていて、再度読むことになり・・・。
短編の推理小説としては複雑になり過ぎていて、失敗作かな、という
印象は依然変わらなかったが、糸魚川の翡翠を題材にしているところに
心が留まった。糸魚川市内を流れる姫川。その美しい渓谷から
発見されると言う石のことは、子供の頃、何度も両親や祖父から
聞かされてきた。父に連れられて、姫川の河口で石拾いをしたことも
ある。もちろん、翡翠を期待したわけではなかったが。
母は父と婚約した時に、祖父から贈られた、という深い青緑色の
翡翠を加工した指輪を持っていて、とても大切にしていた。現在は私の妹が
母から引き継いでもっているのだが。他にも祖父の家の浴室の床には、
祖父が若い頃に姫川で拾ったという、翡翠の原石が埋め込まれていたことを
覚えているのだ(こちらは現在、行方知れずである)。
最後に糸魚川を訪れたのは学生時代の頃で、すでに半世紀近く過ぎている。
もう一度、糸魚川を訪れたい。清張が小説の舞台とした姫川の
小滝川沿いを歩いて見たい、と強く思うようになった。(続きます)
2023-05-26 14:14
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0