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フェルメールの黄 [藝術]

フェルメールの絵は、2012年に渋谷で開かれていた
「フェルメールからのラブレター展」と題された美術展で
かなりまとまった作品群(といってもこの画家の確認されている作品が
全部で30点と、多くはないのだが)を観た記憶がある。その多くはない
彼の作品に「手紙」をテーマにしたものが複数あることから名付けられた
美術展なのだった。手紙を書いている女性がこちらに顔を向けている
「手紙を書く女」では、鮮やかな黄色の上着をまとった若い女性が
描かれている。全体が褐色系にまとめられた色調の中で、浮き上がるような
その黄色は実に鮮やかだった。

絵の中央に横向きに立ったまま手紙を読む女性が描かれた
「手紙を読む青衣の女」という作品もある。こちらは奥の壁にやや
大きめの絵がかかっているが、絵の色調はくすんだ黄土色である。
絵の中の女性はふっくらとしたお腹をしていて、妊娠中なのだろう。
こちらは、美しい明るい青の上着が印象的である。

 絵の中にかかりいる絵もフェルメールの手に違いなし右上を占む
                  永田淳『光の鱗』
そうなのだろう。で、よく見たい、と思うのだけれど、やはりここは
あくまでわき役、何が描かれているのか、よくわからなかったことを
覚えている。ただ、フェルメールは青と黄色が好きなんだろうなあ、
と何より色彩の美しさが強く心に残った。

青といえば、何といっても「青いターバンの少女」あるいは
「真珠の耳飾りの少女」と名付けられた絵が有名である。
「フェルメールからの・・」の美術展には含まれていなかったこの絵、
どこかで実物を見た記憶があるが、いつどこでだったか、全く思い出せない。
ただ、想像していたよりもかなり小さな絵だったこと、
何か訴えかけるような少女の表情が魅力的で
なかなか絵の前を立ち去れなかったことを覚えているのである。

ターバンの青は、まさに「フェルメールの青」で雑味のない爽やかな
初夏の青空のような、透き通るような美しさだった。この絵具は、ラピスラズリを
砕いて作られているらしい。あの光沢は、鉱石の持つ涼やかさだったのかと納得する。

さて、その少女がまとうターバンは頭を水平に覆っている部分と、
その横から垂れ下がる部分から成っていて、垂れのぶぶんはくすんだ
黄土色をしている。これはどのような絵具からできた色か、
私はこれまで、つきつめて考えることはなかったのだけれど。
多分何か岩石、あるいは土中の成分から、と漠然と思い描いていた。

ところが先月、購読している電子版の山形新聞を読んでいて、
このターバンの黄色について言及している記事に出会い、度肝を
抜かれた。この黄色はインディアンイエローと呼ばれているのだが、
牝牛にマンゴーの葉だけを与え、その排尿から作るのだとか。
葉だけ食べさせられた牝牛は、当然ながら栄養不良で死に至る。

凄まじい過程から生まれた色彩と知って、胸が詰まった。
この時代の芸術は、惜しみない犠牲のうちになされたもの、
という実感が湧いてくる。激しい階級格差があって、一握りの
富裕層から生まれた画家、あるいはその才能を見込まれた者が、
ごく一部の富裕層のなかからパトロンを得て、作品を世に残したのだ。
幾頭もの牛もまた、その犠牲となっていた・・・・。
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