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折々の漫画家・こうの史代 [藝術]

こうの史代という漫画家をアニメ「この世界の片隅に」で
知った、という方は多いのではないか。私もそのひとり。
広島出身の漫画家であり、「セカスミ」以外にも原爆に
絡む作品として「夕凪の街・桜の国」がある、となると・・・。
イメージとしては、社会派なのかなあ、とも思ってしまうが。

漠然とそんな風に思い、そこそこの興味の対象でしかなかったのだが、
偶然古書店で彼女の初期の漫画を見つけて購入、読み始めて、
思わずのけぞってしまった。むむむ、こんなにイメージが覆された
という経験は、最近したことがなかった。

手にした作品は、『長い道』である。かっこばかり付けている
ダメ男と、ひょんなことから結婚することになってしまった女。
相手がああなら、こっちもこう、みたいな? ふわふわととりとめのない
生活していて、その味わいがなんとも面白く・・。

例えば、男の方は女が子供を欲しがることを怖れている。同居の家政婦
くらいにしか考えていず、宝くじにでも当たったら、すぐに離縁して
自分好みの我儘でカッコいい女を捕まえよう、とか思っている。
だから女が「やっぱり、何か生き物を育てたい」と言い出すと「すわ」と身構える。
で、ペットでいいと聞き、胸をなでおろすのだが。
なんと、女が育て出すのは、カビ、とか細菌みたいなもの・・・。

男の態度や素行は、いかにも、ありそうだ、と思える。だが、
そういう男に対峙する女の受け方が普通じゃない。
そこがこの漫画の面白いところで、私はたちまちのめり込んでしまった。

さらに「ぴっぴら帳」「こっこさん」などのペットモノ、といっても
いずれも鳥だが(セキセイインコと鶏)などを読んだ。「長い道」に
共通する意外性と、人を食ったようなお惚けに充ちている。
絵も、決してうまくはなく、でも、内容に合った、ほよほよ系?

「セカスミ」からはかなりかけ離れた世界が広がっていて、
これが何とも楽しかったのだった。

こうの史代は、広島大理学部を中退していて(だから、菌を
ペットにするなんて発想もあったのか?)、「長い道」系統の
ギャグマンガ系で出発。でも広島出身なんだから、と編集者に
勧められて、原爆を題材にした作品を手掛けるようになったらしい。

このことが、漫画家としての彼女の名声を高めることになったわけだが。
「こっこさん」や「ピッピラ帳」もいいよ、というか、
ぜひ多くの人に味わってほしい、そして癒されてほしい、と思える
作品である。
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折々の漫画家・さいとうたかを [藝術]

さいとうたかをの作品は、「ゴルゴ13」だけしか読んでいない。
他にどんな作品があるかも知らないでいた。九月に84歳で亡くなり、
2015年に放映のドキュメンタリが再放送されるということで、
(NHK「浦沢直樹の漫勉」)を見た。途中に用事が出来、
あとは録画して後日見ることに。

番組の内容がほとんどゴルゴ13に関することで、やはりさいとうの
一番の代表作なんだった。描き始めは六十年代の末頃にさかのぼる、
というから、凄い。私にこの漫画の存在を教えてくれたのも、実は
学生時代から付き合っていた、今の相棒。高倉健がゴルゴ役だった
東映の作品も、彼といっしょに見に行った。当時は、男性のすきそうな
映画だな、と思ったくらい。まあ、私が好きな映画にも付き合って
もらっているんだから、これくらいは一緒にみてもいいや的ノリでした。

大学卒業後お勤めしていた頃は、職場の同僚が貸してくれた雑誌で
「ああ、まだ続いているんだな」と思った記憶があるくらい。
私は(たぶん世の女性たちの多くがそうだと思うけれど)特に
さいとうたかをには、関心がなく過ごしてきたのである。

それががらり、と変わったのは、この春、ちょっとした病気で
医者にかかり、その待合室に数冊の「ゴルゴ13」が積んであった
こと。待ち時間にちょうどいいか、と読み始め・・・。
そして読み終わったとき、あらためて、この漫画家、凄い人だったんだ
と気がついたのである。ストーリーの内容が現代の問題を鋭く
突いていて、こうも長く続いているのに、マンネリ感がない。
展開がきびきびしていて、図の流れとすごくよく適合している。
絵がうまい。どの絵にも、はっとさせられるような詩情がある。

今回見たドキュメンタリで、その秘密(と感じたのは私だけかも。
きっとファンの間では周知の事実だろう)が次々に明かされた。
ストーリーはその道の専門家が作っていること。主人公のゴルゴ
以外は、スタッフが手分けして描いていること。さいとうたかを
とは、いわば「工房名」でもあったわけである。

さいとうの語りにも、はっとさせられる言葉がいくつも。
「しゃべると弱くなる。だからゴルゴにはできるだけ
話をさせず、まわりにその役を振る」
「自分は若いころ、日本画(!)をやっていて、その先生に、
線を引くとき、いつもその線がどう続くのか、何のための線なのか
意識するように、と教えられた」
「自分は絵を描くのは本当はあまり好きじゃない。一番好きなのは、
構成すること(いわゆる、ネーム、のことだろう)」

それでも絵は凄く旨い。彼がゴルゴを描く場面も撮られていて、
これは見ものだった。下書きは最低の線にとどめ、あとは
筆の勢いで描いていく。あの、眼光鋭いゴルゴが、彼の筆の
動きから現れてくるのを、私は陶然と見ていた。

さいとうたかをは工房名。
だからさいとうの死後も、ゴルゴの活躍は続くらしい。
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聖子ちゃん [藝術]

「え、松田聖子、知らないの!?」大きな声で言われたことを
覚えている。アイドル歌手がいかにも好きそうな、私より
三、四才年下の同僚男性のO君だった。私は仕事や家事や、そして
短歌も始めたばかりの頃で、テレビを観る余裕なんてなかったころだ。

「歌が下手、でも可愛い」女の子を見ることが全く嫌いでもなく
(当時のアイドルは、ほとんど例外なく歌が下手糞だった)。
ただ忙しかっただけである。それからたぶん一、二か月後くらい、
何気なくつけたテレビに、観たことのない女の子が登場。
「ああ、可愛い。でもきっと下手なんだろうな」と思う間もなく、
「あ~、わたし~のこ~いは~、みな~みのお~」
驚いた。透き通った伸びのある高い声。愛らしさ+清純さ+
ちらちら見え隠れする女の子らしい媚び。
う、う、うま~い! こんな可愛くて、こんなに歌が上手い!
しかも聞く人を魅了する、不思議な眼力まである。
きっと、大スターになるな、と予感したのだけれど。

その後も私はほとんどテレビを観ず、聖子ちゃんの活躍ぶりを
知らずにいた。何か月か後、先述の同僚のO君たちと昼食を摂りに
出たレストランの店先で、急に「ああ、これ、この歌」と
言いながら、O君がハミングし始めた。「知らないの!? 今、
凄く流行っているんだよ。なつのとびらをあけて~・・・」
ああ、いかにも若い男の子が好きになりそうな歌手、そしてフレーズ、
と、すっかり魅入られているO君の様子を冷めた目で見ていた。

そんな私が聖子ちゃんの歌を積極的に聴くようになるのは、
やはりこの曲が女の子のファンを増やした、と言われる
「赤いスイートピー」あたりからである。歌詞のせいだけではない。
とにかく真夏の空のように、明るく、きーんと晴れ渡った
高い声だった聖子ちゃんの歌が、このあたりから
すこし内省的な、複雑な色合いを帯びてきたように感じられたからだ。

それから何曲も何曲も、ヒットを飛ばし続けたらしいから、本当に
昭和末期から平成に掛けての国民的アイドル、しかも最後の大型
アイドルだった、と言っていいだろう。こんな歌手はもう、
これからは現れないだろうから。

先日、NHKで聖子ちゃんの「歌手四十周年記念番組」が放映されていた。
昨年放映されたものの、再放送らしい。録画しておいて観た。
聖子ちゃんが、ヒットを次々に飛ばしていた頃、生番組も多くて、新曲は
楽譜をもらうとすぐその場で覚え、そのままレコード収録に入っていた、
と聞いて、本当に驚いた。

楽曲を提供していた何人かのミュージシャンも登場。
作詞を多く担当した松本隆が「渚のバルコニー」のなかの、「馬鹿ね」
というフレーズを、聖子ちゃんがうまく歌えるのか、危ぶんでいたそうだ。
「そしたら、もう、ばっちりで・・・。ああ、これならヒットするなあ、
と思ったら、やっぱり」とか、すっかり脱帽、の様子なのが可笑しかった。

聖子ちゃんは「ええ、そうだったんですか。ただ、感じた通り歌った
だけで・・・。何もいわれなかったし・・」と唖然としていた。
若い才能って、すごいなあ、と私も唖然とした。

ちなみに私が一番好きな聖子ちゃんの歌は、「Rock’n roll Good-by」
作詞は松本隆、作曲は大滝詠一。才能には、才能が集まる・・・。


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カラーブックス [藝術]

保育社から刊行されていたカラーブックスというシリーズ。
先日本棚を整理したらなんと五十冊以上あった。
このシリーズが刊行されていたのは、私がお勤めしていた頃で、
私は毎日とても多忙だったに比べ、彼の方は長い夏休み、
春休みなどがあって、私よりずっと時間的に余裕があったらしく。
購入したのは全部、相棒である。

文庫版の大きさで、百ページほどの写真ページと、五十頁ほどの
解説部分から成り、当時一冊が三、四百円ほどの値段だった。
旅物、鉄道物、美術工芸もの、食べ物、トランプやコインなどの
趣味物、と、ジャンルはかなり広く、私にはあまりにも総花的、
とも見えていた。

実は、熱心に読んできたのは『日本の銘菓』と『宝石』のみ。
そして相棒が最初に購入してきたのも、この二冊だった記憶がある。
『日本の銘菓』は、お菓子の文化に言及されている部分もあり、
『郷土菓子のうた』を執筆するときの参考にもなった。

あの頃、我が家に増えていったカラーブックスを横目で見ながら、
ほとんど興味が湧かなかったのは、なぜだったのだろう。

たとえば『スイスの山』。美しいけれど、こういう雄大な景色は
大きな写真で観たい。文庫じゃいかにも物足りない。『古城と
ワイン』や『インド紀行』なども、同じ理由から、ほとんど
開くこともなく過ぎてしまっていた。また『カラー歳時記
花木』や『木の花 木の実』『カラー歳時記 草花』などは、
もっと種類が多く掲載されていて、写真が大きくて見やすい図鑑を
自分で買い、そちらを愛用してきた。

最近の巣籠生活の間、本棚を整理していて、カラーブックスが
目に留まり、ざっと開いてみて、意外に充実した内容だったんだ、
と気がついた。文庫という大きな枷があるなかで、これだけの
写真と情報を詰め込む、相当の技量だった、と驚いたのである。

特に『カラー歳時記 草花』を開いてみて、愕然とした。
写真に摂り上げた草花を詠んだ詩歌が巻末にまとめて掲載されて
いるのだが。「歳時記」という名称に、たぶん俳句だけ、
と私は思い込んでいた。それなら、『季寄せ』を調べる方が早いし、
種類も多い、と思い、開くこともしなかった。

今回パラパラとめくってみると、なんと俳句と共に和歌や短歌も
掲載されていたのである。勿体ないことをしたものである。

 あさ朝の濃き藍の花のひとつより流れて空の色となりぬらし
           太田水穂(朝顔)『カラー歳時記 草花』
 夏に入るあしたの露に咲きおもりゆたかなるかな藤の花房
           尾上柴舟(藤の花)『カラー歳時記 花木』
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甦る三大テノール [藝術]

WOWOWで放映されていた「甦る三大テノール」を観た。
2020年ドイツで製作されたドキュメンタリー映画で、三大
テノールとは、もちろん、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス。

1990年にイタリアでサッカーの世界大会が開かれるのを機に、
世界的なテノール歌手である三人が、ローマのカラカラ浴場で
コンサートを行うことになったところから映画は始まる。三人ともども
サッカーファンであったことが、大きなきっかけではあったらしい。

いずれもオペラ界の花形歌手であるし、優れた芸術家であり、
また舞台ではそれぞれがソロを張ってきた人たちである。一緒の
コンサートとなると、うまくいくのかどうか。さらに、オペラはもう、
一昔前の芸術、という雰囲気の強い欧州にあって、観客が集まるのか。

当初は、それこそ薄氷を踏みながら、の準備だったことが語られる。
特にテノールの一番手、と自負するパヴァロッティは、ドミンゴへの
対抗意識が強く、指揮を担当するズービン・メータをかなりやきもき
させることになったらしい。この興行にかかわった人たちの証言は、
その時々の三人の様子を、それとなく語っているが、かなり険悪な
関係に陥りそうな場面もあったらしいのである。

それを乗り越えることができたのは、まず、白血病から生還した
カレーラスの存在が大きかったらしい。ドミンゴとパヴァロッティが、
カレーラスの保護者のような立場で、気を遣い始め、それによって
二人の間に、ライバル歌手、とは違った関係が芽生えていく。

そして、誰も語らなかったことだが、画面から伝わってきたことは、
ドミンゴがパヴァロッティの実力を認め、二番手に甘んじた、らしい
ことである。少なくともほかの二人がパヴァロッティを上に頂く、
という感じをいつも保っていたことが、舞台の進行を円滑にしたのでは
ないだろうか。聞いていてもやはり、パヴァロッティの歌唱力が
一段と上を言っているのがわかるのである。声の張り、華やかさ、
豊かな表現力・・・。そして舞台全体を統べるようなカリスマ性。

三大テノールのカラカラ浴場での公演は、イタリアサッカーの躍進
(この時は世界三位)と相まって、大成功をおさめ、その後は
FIFAワールドカップと共に、世界をめぐることになったという。

映画の中には、その時々の三人の歌声も流れ、音楽映画としても
まあまあ堪能できた。三人の声を同時に聞く事は、オペラのなかでは
できなかったことだから、そういう意味では貴重なフィルムであったが。

映画は、三人の公演がやがて儲け一辺倒になっていくところまで
あからさまに映し出す。三人がお金儲けに走った、ということではなく、
つまりは興行者側にうまく操られ、搾り取られるようになった、という
ことのようであるが。
それでも、斜陽化していたオペラの復活へ一石、というか二石も三石も
投じたことには違いなく。

パヴァロッティが亡くなる場面は悲しかった。他に新たなテノールを
加えて、三大テノールとして公演してほしい、という依頼を、二人が
蹴り続けた、ということにほっとした。映画を観終わった後、
CDで、パヴァロッティの声を聞きなおすことに。やっぱり、ベストは
「誰も寝てはならぬ」か。そして「帰れソレントへ」。
聞くと元気になれる。イタリア語のもつ、圧倒的な音楽性も感じる。
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折々の画家・東山魁夷 [藝術]

絵を見るのが好きで、画集はいろいろと持っている。
なかでも一番大きく重たいのが東山魁夷の画集である。
1974年10月、集英社刊行。「現代日本の美術」のシリーズの中の
一冊である。A3の大きさで、一冊が三キロ以上もあり、棚から
取り出すのさえ難儀なくらいである。

私が持っているこのシリーズの画集は、東山の一冊のみである。
そして、この画集をよく見るようになったのは、ここ数年位のこと。
発行まもない、1974年10月に手にしているのにもかかわらず・・・。

実はこの本は、私の高校時代の親友、Mちゃんが、私の結婚祝いに
贈ってくれたものなのだ。彼女は理系の進学クラスに入りながら、
途中で受験をあきらめ、金融機関に就職した。そこで合唱団に
入り熱心に活動していて、私に演奏会の切符を贈ってくれたりした。

74年の秋、結婚するので披露宴に出てほしいと伝えると、喜んでくれた。
渋谷で会った折、「ねえ、お祝は何がいい?」と聞いてくれた。
「式に出てもらうんだから」と遠慮すると、
「じゃあ、私が欲しいものを贈ってもいい?」
「もちろん、いいけど」

その後、彼女は私を近くの書店へと連れ出した。
そこで真直ぐ売り場に向かい、『現代日本の美術・東山魁夷』を
購入すると、その場で渡してくれたのだ。
「すごく良い絵なの。きっと、史ちゃんも気に入るよ」

あれれ、と戸惑ったことを覚えている。だって、結婚祝いとして
そういう何か、イメージするものがあったから。なんとなく、
「お祝されていないのでは」という違和も感じてしまったのだった。
私は大学を卒業したばかり。ようやく23歳になったばかりだった。
口に出してこそ言わないが「早すぎ」と思われていたかも。

家に帰って画集を開くと、画面いっぱいに広がる一本の道が
見えた。あの有名な魁夷の「道」である。私はどきん、とした。
夢はどうしたの? 安易に生きようとしているんじゃないの?
Mちゃんのそういう声が聞こえたような気がした。

私は心の中で反論した。
Mちゃんだって、化学がやりたかったんじゃないの? 
受験もせずに、お給料の良い会社に入ったじゃない。
一緒に学生生活を送りたかったのに・・。
なんとも言えない、寂しい気持ちがした。
私はそれから、この画集をしばらく、開くことができなかった。

Mちゃんはまもなく会社を辞め、父親の事業を手伝っていたが、
そこで知り合った男性と結婚した。私も式に招かれて、参加した。
だけれど。Mちゃんからは式の写真が贈られたきり。
その後、まったく連絡してくれなくなってしまった。
年賀状さえ届かなくなり・・・。

最近はよく、魁夷の画集を開いてみる。彼女がどんなに
ユニークで一緒にいると楽しかったか、を思い出す。
この間、私は心のどこかで、この絵に支えられてきた気がする。

  東山魁夷の道は絵の外に続きはるばる吾(あ)を歩ましむ
                     岡部史                     
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絵本再読『おおかみと七ひきのこやぎ』 [藝術]

ここで取り上げる『おおかみと七ひきのこやぎ』は
フェリクス・ホフマン絵、せたていじ訳の福音館書店刊のもの。
1967年初版なので、もう半世紀を優に超え、まだ増刷を
重ねている、ロングセラーの一冊である。最近、図書館で
見て懐かしくなって借りてきた。最初に目にしたのは、大学の
図書館だった記憶がある。私の通っていた大学には児童科という
変わった学科があり、図書館の絵本コーナーが充実していた。

あらためて手にとってみると、シックな表紙に陶然とする。
黄土色の壁、深い緑色のドアの前に、七匹の子ヤギたちが、
それぞれ、うっとりとした表情を浮かべながら鍵を操る動作を
している。上部のドア窓から覗くのは、白い足首。そう、狼が
母の声を真似、足を白く染めてドアの向こうに待ち構える場面なのだ。

表紙からすでに、不穏な空気を孕んだ絵である。だが、
最初の一頁は、画面いっぱいに広がるのどかな田園風景。草原が
画面の八割を占め、子ヤギたちが溌溂と遊んでいる。奥には
毅然とした表情で子ヤギを見下ろす母の姿が小さく描かれている。
でも存在感は小さくない。なんと、母の顔は、雲よりも高い位置にあるのだ。

この絵本の表紙は題名通りおおかみと七匹の子ヤギで構成されているが、
本文にはいるとすぐに、読者はこの本の主人公が実は母ヤギである
ことに気がつくだろう。作者のホフマンは、七匹の子ヤギにそれぞれの
表情を与えながらも、描線はややずさんで、子ヤギらしいどこか
ぽやぽやした感じを残している。だが、一旦母ヤギを描く場面に
なると、決して手を緩めてはいないのである。どのページの母ヤギも
傲然と思えるまでに美しく、品格と慈愛に満ちている。

私が特に好きなのは、子ヤギたちが狼に食べられてしまったことを
知り、たった一匹残った末っ子を抱きしめている場面。
絶え間なくこぼれ落ちる涙をぬぐおうともせず、たたずむ姿に
眼を奪われる。まるで、悲嘆するマリア像のようにも見えてくる。

実際のヤギという動物は、多くの動物の中ではさほど美しくはない。
でも、この絵本のもっとも魅力的な部分は、描かれた母ヤギが発する、
不思議なオーラのようなものにあるだろう。
愛情と勇気に充ちた母性への憧れと、称賛と。
読み返してみて、あらためて、見事だなあ、と感嘆してしまった。
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折々の画家・香月泰男 [藝術]

香月泰男の作品を初めて知ったのは(少々恥ずかしいが)
TV番組「なんでも鑑定団」で、十年くらい前のこと。
どの絵だったかはっきりと覚えていないのだが、画面一杯に
広がる濃い闇の中に、亡霊のような複数の貌が漂ようように
描き出された絵だった。戦後のシベリアでの収容所の体験
から生まれた作品と知って、興味が湧いたのだが・・。

作品はほとんどが香月の生れ故郷である山口県の美術館に
収めてあるらしい。巡回展があれば見たいと思いつつ、
機会に恵まれることはなかった。このGW直前、コロナ対策で
図書館が閉まると聞き、慌てて出かけたところ、偶然
立花隆『シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界』をみつけて
借りてきた。そして一気に読んでしまった。

香月は幼少時から絵を描くことが好きで、画家を目指し
まっしぐらに進んできたような人だった。ようやくその
方向性が見いだせたと思われる頃、召集令状がくる。
1943年、32歳の時に満州のハイラル地区に配備される。

極寒に悩まされるものの、直接戦闘の場面を経験することなく
終戦を迎えるのだが。彼にとっての「戦」はそれからだった。
シベリアの収容所に送られ、強制労働につかされる。

この書はその当時のことを赤裸々に綴った「私のシベリア」
から始まっている。書の前後にカラーの図版が32頁分、配され、
香月のシベリアシリーズを概観できるようになっているのだが。

立花隆が再三書いているように、香月の作品は、実物を見ないと
その真価には触れることはできないようだ。それはどんな画家の
作品についても言えることだが、とりわけ香月の作品は、画面が
立体的で、あらゆる方向から見ないと、見た、ということに
ならないらしい。平面的な印刷物で、それも小さな図版では、
描き出されたものをしっかりと見て取ることはできないのだ。

それでも、私が初めて香月の作品に触れたときの、なにか
禍々しいまでの虚無、憎悪、絶望のようなものは感じられる。
絵の難しさを解きほぐすように、立花の説明が綴られている。

香月の作品の凄いところは、自分たちが過酷な収容所生活を
強いられた、という被害者意識だけを表現してはいないこと。
もっとも衝撃的なのは、終戦まもなく、奉天(現在の瀋陽)
近くの線路わきで見た死体について、である。
暴虐を極めた日本人に対し、憤激した中国の人たちが、
日本人の全身の皮膚を剥いで、打ち捨てたものだったらしい。

これはかなりあちこちで行われたようで、香月はこれらを
見た目から「赤い死体」と呼んで、絵にしている。
同時に、広島で生きたまま焼かれた人々の、黒い死体と対置し、
日本では黒い死体だけが取り上げられるが、中国で犯した罪、
その象徴でもある「赤い死体」を忘れてはならないと述べる。

シベリアシリーズにも、人間の根源を問うような深い作品が
多く、図版に引き込まれるように見入ってしまった。
香月の絵を見るためだけにでも、山口県に行きたい、と思う。
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折々の作家・あだち充 [藝術]

初めて手にしたあだち充の作品は、『タッチ』だった。
当時はお勤めしていて、同じ職場の人から借りて読んだのだろう。
どんなふうに展開し、どのように終わったのか知らないのだが、
『巨人の星』や『あしたのジョー』の世界に馴染んできた私には、
『タッチ』のやや脱力系のスポーツ漫画が楽しくて、
結構ファンだった。その流れで、『みゆき』も手にしたが。

こちらは、あまりに脱力しきっていて、続けて読む気に
なれず・・。だって、登場する男という男がみな、
女子高生のスカートの中にしか興味ないような奴らばかり。
どのページにも女の子の下着、スカートがめくれて見える下着、
覗こうとして見てしまう下着、がでてくるし(いい加減にしろよ)。

あれから三十余年・・。

我家の近くにある市立図書館の分館には、それほど多くないものの
漫画も備えてあるのだが、その棚に『みゆき』が長く置かれていて、
まあ、発刊からだいぶ経っているし、読みたい人はみんな読んだ
からだろうけれど、棚ざらしの状態になっていたんだよね。

このところ、絵を描き始めていた私、ふっと思いついてこの
『みゆき』を借りて来てみた。あだち充の絵が、抜群に綺麗
だったことを思い出したからである。めくってみて、その思いを
新たにした。さらに気づいたことがある。この作家は、スポーツを
している少女の絵を描くのが特にうまい、ということ。

かつては野球少年だったというから、スポーツには興味が
あるということは想像できたけれど、『みゆき』に登場する
スポーツの種類が半端なく多く、そのシーンが実に美しく
決まっていることに陶然となった。ヒロインである二人のみゆきも
運動神経抜群の少女として描かれていて、あだちの才能が
いかんなく発揮できるようにおぜん立てしてあるのだった。

平均台の上での倒立、テニス、バレーボール、陸上のハードル、ヨガ、
などなど、どれも素晴らしいが、特に唸ってしまったのは、走高跳の
背面跳びの場面で、まじまじと眺めた後、じぶんでも模写を試みる
ことに・・・(難しかったぜよ)。

少女漫画では、口絵や、頁のところどころに置かれるヒロインの大写しの絵は、
おおかたポーズを取ったまま静止していて、私はそうした絵を見るのが
好きだったし、子供の頃はその絵を真似っこして満足していたけれど。

スポーツしている少女、その懸命でひたむきな肢体と表情は
静止している少女とは比較にならない生命感に充ち溢れていて・・。
あだち充という漫画家の今まで気づかなかった魅力に圧倒されている
昨今である・・・。
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小さな展覧会 [藝術]

コロナ禍で行動に制約が増えてから、美術展には
全く出かけていない。絵を見るのが好きで、気ままに
美術館に足を運んでいた私にはちょっと辛い日々である。

でも二年半前に、車で十五分ほどのところにある
アトリエに参加してからは、自分でも稚拙ながら絵を描き
同じアトリエの仲間の絵を見せてもらうなどの機会ができた。
こちらは、昨年の四月から六月にかけて一度閉鎖された
だけで、その後は平常通り開いている。

主宰のNさんは、とてもおっとりとした熟年マダムで、
おしゃべり好きな(時々、お喋り過ぎて・・ということもあるが)
楽しい方。来たる三月には、アトリエの仲間たちと展覧会を開く
予定でいるので、特にNさんは突出して張り切っている。

アトリエ主催の展覧会は、私が加入して間もなく行われ、
その時はほんの小さな絵を一枚、お義理で出しただけだったので
(というか、私は出したくなかったんだけれど、Nさんに
押し切られた)、今回が初めての本格参加である。

実はこのところ身辺に色々あって、今回もまたあまり気は
進まないのだが、Nさんの気持ちに水を差すようではいけない、
と思って、とりあえずは、準備に余念がない、ということに。

場所は市立図書館本館のエスカレータ脇の展示コーナーと、
三階、四階の踊り場にある展示スペース。
各自好きなテーマで、二点~数点、出展することになる。
私のテーマは「世界のこども」で、アメリカで生活していた時に
撮影した、友人(サウジアラビアとユダヤ出身の友人の子と、姪、甥)
の写真をもとに描いた水彩画を出すことに。
他に日本人の子供の絵も二、三枚・・。合計で、六点ほど。
小さい絵も混じっているので、さほどの作業量でもないんだが。
このコロナ禍。ちょっと憂鬱な時期の展覧会になってしまった。

オリンピック出場予定の選手の心情を色々と察してしまう。
私は個人的には、五輪などやってる場合じゃないだろう、と
考えているのだけれど。この機会にかけて、何年も戦って
来た人々は、気が気じゃないだろうし。
モチベーションを保つのも一苦労だろうなあ・・・。
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