母の句 [文学]
私の母は二十代の頃は少しだけ短歌をやっていたらしい。
(新聞歌壇に掲載された歌を一度、見せてもらったことがある)
その後、俳句に転じたらしいが、特にどこかの結社の属する、
ということはなく、一人で細々と作っていたようだ。
相棒の母親も俳句をやっていて、関西の小さな結社に入っていたので、
母にも、どこかに入って、継続的にやったら、と勧めたことがある。
その頃の母は六十代だったと思うが、きっぱりと
「人間関係が煩わしくなるにきまっているわ」と跳ねのけられた。
そう言いながら、誰かの勧めで急に結社に入会し、
かなりの密度で作句し始めたのは、七十代に入ってから、
今から二十年位前のことである。それからは、月一度の句会のほか
誰誰さんの出版記念会だとか、批評会だとか、吟行だとか、
頻繁に出かけ、句作に力をいれるようになった。
父母が施設に移ってから、私は徒歩二分ほどのところにある
実家に通って、ぽつぽつと後片付けを続けている。
父の残したものが膨大にある一方、母のものがほとんど
何もないことに驚きながら。あれだけ句作していたのに、
結社誌さえ残っていなかった。母は自分のものは本当に
潔く、捨てていたのだな、と胸を突かれる。
父の書棚の奥から、ほんの数冊だけ、母の作品の載った
雑誌が出てきた。父がこっそり残しておいたのだろう。
その中には、明らかに私が海外に旅行した折に父母に送った
絵葉書を題材にしたらしい作品もあった。
長き文プラハの遅き春を乗せ
絵葉書は濃霧の湿りかオスロより
施設に母を見舞い、こう声をかけてみる。
「ねえ、また俳句作ったら。たっぷり時間あるでしょ」
でも母は、遠いところを見るような目でこう言うばかり。
「時間はあるけどねえ・・。湧いてくるものがないのよ・・・」
(新聞歌壇に掲載された歌を一度、見せてもらったことがある)
その後、俳句に転じたらしいが、特にどこかの結社の属する、
ということはなく、一人で細々と作っていたようだ。
相棒の母親も俳句をやっていて、関西の小さな結社に入っていたので、
母にも、どこかに入って、継続的にやったら、と勧めたことがある。
その頃の母は六十代だったと思うが、きっぱりと
「人間関係が煩わしくなるにきまっているわ」と跳ねのけられた。
そう言いながら、誰かの勧めで急に結社に入会し、
かなりの密度で作句し始めたのは、七十代に入ってから、
今から二十年位前のことである。それからは、月一度の句会のほか
誰誰さんの出版記念会だとか、批評会だとか、吟行だとか、
頻繁に出かけ、句作に力をいれるようになった。
父母が施設に移ってから、私は徒歩二分ほどのところにある
実家に通って、ぽつぽつと後片付けを続けている。
父の残したものが膨大にある一方、母のものがほとんど
何もないことに驚きながら。あれだけ句作していたのに、
結社誌さえ残っていなかった。母は自分のものは本当に
潔く、捨てていたのだな、と胸を突かれる。
父の書棚の奥から、ほんの数冊だけ、母の作品の載った
雑誌が出てきた。父がこっそり残しておいたのだろう。
その中には、明らかに私が海外に旅行した折に父母に送った
絵葉書を題材にしたらしい作品もあった。
長き文プラハの遅き春を乗せ
絵葉書は濃霧の湿りかオスロより
施設に母を見舞い、こう声をかけてみる。
「ねえ、また俳句作ったら。たっぷり時間あるでしょ」
でも母は、遠いところを見るような目でこう言うばかり。
「時間はあるけどねえ・・。湧いてくるものがないのよ・・・」
2018-11-10 08:45
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