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絵画のうた(その7) [短歌]

「塔」に入会する少し前、二十代の後半に、
私は少しだけ、若い人たちだけで開催される
別の結社の歌会にも出席していた。
短歌を続けていくかどうか、決心がつかないでいた頃だ。
このグループには、優れた学生歌人が沢山いて、
私は「歌を始めるには年を取りすぎちゃっている」
と、たびたび落ち込んだりもしたのだったが。

そんな仲間の一人に、木谷麦子さんがいた。
シャープな歌を次々に発表されていたのだが、
私が特に惹かれたのは、「絵を描く自分」を
詠まれた歌だった。ああ、短歌って、こんなことも
できるんだ、と超初心者の私は、何度も瞠目した。

  よこがほに薄く陰翳つけをへて落書相手に物語する
  ゆびきりの指の形を紙にかく相手はあらぬ約束の指
  音するほど筆たたきつけ描きてみたし何を何をと荒るる心を
                  木谷麦子

他にも、「絵を描く歌」は沢山詠ませてもらっているはずだが、
もうだいぶ前のことなので、プリント類が散逸してしまっている。
上記はわずかに手元に残してある結社誌「まひる野」に見えるのみ。

私はその後まもなく、このグループから離れてしまった。
木谷さんは短歌を止めてしまわれたようだが、卒業後、
教育関係の方面に進まれ、その後は、美術関係の方面で、
活躍されているようなことを、風の便りに聞いている。

私は短歌を始める、その門口で優秀な歌人に沢山巡り合えたのだが、
彼女たちはほとんど、歌を止めてしまった。でも、もしかしたら
自分を歌に詠んできたことが、自分の好きなことを強く自覚する
契機になった、ということもあるのかもしれない。

絵を歌に詠むことがある種、暗示になって、
より絵が好きになる、絵を描く自分、絵を鑑賞する自分をさらに
すきになる、というようなことは大いにありそう、
と思うのである。だから短歌を捨てて、別の分野に進んだ、
というのは、かなり皮肉な話ではあるのだが。
短歌は自覚しきれていない自分に気づかせてくれる、と言う点で
とても不思議な詩形なのである。(とりあえず、この項、ここで終わります)
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