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詩とメルヘン [文学]

一か月に二、三度、徒歩二分ほどのところにある実家へ行き、
郵便物をチェック、お天気の良い日はすべての窓を開けて風通しする。

そのついでに、部屋を少しずつ整理している。今日、
たまたま古い書棚(ここはほとんど空なのだが)の
下の引き出しを開けてみて「詩とメルヘン」を発見!
これは1973年㋃発行の創刊号、再び出会えた
懐しさと嬉しさで胸が一杯になった。

この雑誌は、高校二年時に同級で、その後も親しく付き合っていた
Mちゃんから頂いたものである。卒業後、彼女はある銀行に就職、
その銀行の合唱部で活躍し出し、発表会があると私も
聞きに行ったりしていた。その折に、
「友達が何冊か、くれたんだ。その人、この雑誌の
創刊に関わった人の友達なんだよ」と言っていた。

難解で、でも美しい言葉の片々がきらきらと
散りばめられた詩、もすてきだけれど、
こういう分りやすい詩、も良いものだな、と気づき、
随分入れ込んで読んだ記憶がある。
編集人のやなせたかしは、編集後記にこう綴っている。

・・・この本は幾分か素人っぽいままにしておきたい。
先ず楽しむことが第一で、詩論なんか一切載せない。・・・

そう、彼の目指すところは明白だった。・・・だから三十年以上も、
刊行し続けることができたのだろう。
あの頃にこの創刊号を読んで、
心に留まっていた詩句、時々思い出し、心の中で
復唱してみた詩句、を再び目で確かめる。

  ・・・  
  ここはさりげないけれど
  たしかなゆきどまりなのだ大きな
  夢をもたなければこえられない大きな
  夢をなくさなければこえられない
         汐見靭彦「岬」

  ・・・
  うそつきこいさん
  むらさき野菊
  泣かへんゆうて 泣かはった 
         前田詩津子「嫁菜」

前田さんの詩集はその後書店で見つけて
購入までした『さよならの花束』(サンリオ出版)。
でも、一番好きだったのは、野原ゆうこさんというかたの

 
 ・・・ 
 家々の屋根に
 とぎれとぎれの空は
 みどり色に光ってた
 磨き終えた土耳古石のように

 風が
 僕の肩を
 花嫁の軽やかなチュールでおおってさえも
 僕は疲れはてた
 どんなやさしさにも耐えきれぬほどに
          野原ゆうこ「唄」


Mちゃんとは、その後、彼女の結婚式で会ったきり。
あまり幸せな結婚ではなかったのではないか、と
嫌な予感がしたのだけれども。全く連絡がなくなってしまった。
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記憶の方法・続 [言葉]

記憶の方法として、耳から聞いて覚える、という人が
いるようだが、私は明らかに視覚優位の人間である。
聞いたことより、見たこと、読んだことの方がはるかに
よく覚えられるし、情報量も豊かになるように思える。

中学生の頃、学校の授業が苦痛でたまらなかったのは、
読めば一瞬で分かるようなことを長々と聴いていなければ
ならなかったからであるが。さらにさほど重要でも
ないような知識の片々を「試験に出す」と言われて
無理やり覚えなければならないことへの強い反発も
感じていた。学期ごとに行われる中間、期末の試験は
本当に無駄だ、としか思えなかった。今もその感覚は
正しかった、と信じている。

でも、この試験は成績が悪いとひどく目立った。
当時田舎の中学に通っていたのだけれど、三度に一度位、
成績順に百番くらいまで(学年に三百数十人在席)廊下に
名前を張り出されたからである。
ばかばかしいが、あまり成績が悪いと両親の機嫌も
悪くなるので、そこは一計を案じたのだ。

試験の前の夜、教科書の試験範囲をじっと見つめる。
そして、目の裏に内容をコピーするのである。これは
見て覚えるのが得意な私には、最大の武器になった。

問題用紙を見て、「ああ、これは教科書のあのあたりに
出てきたな」と思い出す。コピー用紙をめくるように、
記憶した場面を辿っていくと、思い出せるのだ。
試験が済むと、用紙を捨てるように、記憶も捨てる。

これはなかなか効率が良くて、実際はさほどのことを
理解していないのに、点数だけは取れてしまい・・。
両親の機嫌も良いので、万々歳、となったのである。

この記憶法は、今では買い物に行った時などに応用している。
食品を置いておく棚を時々見て、その光景を頭の中に
記憶しておく。スーパーの通路を歩きながら、その
記憶を引き出し、「ああ、みりんと御酢が減り始めていたな」
とか思い出しながら買い物できる。

そして、今も、嫌だった試験勉強を思い出す。あんな方法では
理解力も想像力も創造力も身につかないじゃないか、と
忌々しく思いつつも、じゃあ、どんな方法で学べばよかったのか、
当時の自分に妙策がなかったことをつくづく悔しく思う。
ただ、好きな本だけは夢中で読んでいた。それだけだったことを
致し方なくも、残念におもうのである。

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記憶の方法 [言葉]

人間の記憶の容量は、言葉の創造、さらに文字の創造によって、
飛躍的に増大した。言葉がなかったら、思考もまた、限りなく
浅く、短いものになってしまっていただろう。

そんなことを考えるようになったのは、最近、どうも
物忘れ、というか、ど忘れの頻度が上がってきたように感じるから。
例えば、スポーツを話題にしてて、あの時の投手の活躍、
凄かったよね、ええと、ヤクルトにいた抑えの投手・・・。
顔は思い浮かぶ。フォームだって、目に浮かぶ。でも、その
投手の名前が思い出せない。つまり、映像を言語化する機能が、
鈍ってしまっているのだ。言語化することで増えていた記憶量が、
映像のみになってしまっている! ということは・・・。
このままでは、記憶するための器官が衰退してしまう、ということ
ではないか、と怖れてしまうのである。

さらに最近だが、不思議な記憶呼び出しスタイルが自分に
現れたことに気がついた。一つは、もう数年くらい前から
起きていることなのだが、モノを思い出そうとするとき、不思議と、
短歌の方が思い出されてしまう、というようなことがあるのだ。

一つの例としては、最近、近くを散歩していた時。
綺麗な黄色い花が咲いていて、ああ、春の黄色い花っていえば、
最近見かけなくなった花があったなあ、と思い出そうとした。
でも、名前がすぐに出て来ず、出てきたのは、もう四十年位前に
読んだある歌誌に載っていた作品、それも下句のみ。
 
  ・・・血の繋がらぬ姓も身に添ふ

この歌の上句に、今思い浮かべている花の名前が出てくるはず、
という風に思い出しているのであった! さて、上の句は・・・。
散歩の終わり近くに思い出した!
  
  エニシダの花零れつつ根づく春

そうそう、エニシダだった!あのマメ科の花だ。
という風に思い出したのである。そういうことが結構ある。
これは、う~ん、やっぱり、記憶力の減退を何とか
抑え込もうとする、無意識の作用、のせいなのか。

さて、もう一つの呼び出しスタイルだが、それは次回に。
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それって、方言? [言葉]

中学卒業後に東京都内に家族で転入した。
それまで暮していたのは、山形県南西部の小さな町。
田舎暮らしから、いきなり都会に出て来て、慣れないことも
多々あったけれど。まあ、若かったし、それなりに
周囲に溶け込んで、目立たないように過ごしてきたつもりだが。

高校時代はけっこう、面食らうこともあった。
その一つが、方言。自分では「たぶん、方言」と
分っている言葉と、わからない言葉とがあったこと。
前者は周囲を困惑させるだけだから、できるだけ
共通語に替えてつかっていたわけだが。
たとえば、「いたましい」。これは東北では
「悲痛に思う」という意味ではなく、「もったいない」
ということである。無生物にも心を寄せる、東北人らしい
ことばと思い、大好きなのだけれど、これは東京では通じない。

ほかに「こわい」は「疲れた」だし、「なげる」は「捨てる」
の意味。札幌育ちの知人が「全部投げてきた」と言って、
周囲の人を「随分力持ちだ」と、驚かせていたことがあって、
「ありゃ、捨ててきた、ってことだよ」と可笑しかったことがあった。
北海道も同じように使うんだな、とも、気がついた。

でも、知らないで使ってしまい、周囲を爆笑の渦にして
しまったことがある。高校二年の修学旅行の夜に。
友人が持ち込んだトランプをして遊ぼうということになった。
ポーカーフェイスを始めたとき。私は、トランプの札を見て、
「あ、アカモモだったらな」と言った時。
「え、なんだって? 今、なんて言ったの!?」
と問い詰められて、面食らった。
だから、この札が「アカモモ」なら、って。

「きゃあ、ははは、ハートのことをアカモモ!?
じゃあ、この札は?」
ああ、しまった、これは東北の方言だったのか、と
思ったがもう遅い。「じゃあ、こっちはなんて呼んでんの?」
「これは、クロモモ(スペードを指して)。
こっちはミツバ(クラブ)、ヒシガタ(ダイヤ)」
「うわ、可愛い! 知らなかった、そんな呼び方!」
と、それからしばらく、アカモモじゃあ、クロモモだ、
なんて、呼び合って、私をおちょくってくれたのだった。

このトランプの模様の呼び方は、東北でも山形県に
特有のものらしい。ずっと、共通語だとおもってたのに。
つまり、ダイヤとかスペードとかの外来語に対する、共通の
和訳語だと思い込んでいたのだ。あ~あ。




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夢の歌会 [短歌]

このコロナ禍のおかげで、もう二カ月、歌会ができていない。
たぶん、来月も無理だろう(私達の生の歌会は第一日曜だし)。

そんなこんなで不満がたまっていたせいだろうか、不思議な夢を見た。

私は、親族の離婚騒動に巻き込まれ、何か正式な場
(家裁の調停みたいなところ?)に出頭している。
そこで、長々と不思議なやり取りがあるのだが、
これは、歌会とは全く関係なく、いかにも夢らしい、
はちゃめちゃな展開だったので、ここでは省略する。

ところで、私は、夢の中で離婚しようとしている夫方の
親族に当たる。なので、妻に当たる人は良く知っているものの、
そちらの家族とは、結婚式で一度お目にかかったことがあるのみ。
それなのに、この夢の中で、妻なるひとの妹に会い、親しく
会話まで交しているのである(結婚式では話もしなかったのに)。

後日、彼女から葉書をもらう。そこには歌が一首書かれていて、
今度の歌会に出席させてください、とあるではないか。
ちなみに、もう二十年位前だが、まだみんながメールを使う、
という時代でなかった頃は、歌会の二、三日前にはがきで
詠草を送ってくる、という人がちらほらいたのである。
私達の歌会では二首提出が原則である。もう一首、送って、
というべきか、それとも・・・と考え込む私・・・。

目が覚めてから、ああ、あんな歌会をやっていた時代もあった、
と、懐かしくなった。その時、送られた歌がどんなだったか、
できはよかったのかどうか、う~ん、何も覚えていないのだった。
親族だった(彼らは実際に離婚した)その女性の妹の顔は、
(夢の中で見た顔だが)うっすらと思い浮かぶのに・・・。




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パンの美味しさ [食文化]

米原万里の妹、井上ユリ『姉・米原万里』を読んでいたら、
家族で美味しい黒パンを探して東京のあちこちのパンを
食べ比べた、というくだりにであった。
長くパン文化圏で暮していると、そうなるだろうとは
たやすく想像がつくのだが。

ブルガリや出身のティナさんは、京都の大学院で
しばらく学んでいたが、「日本のパンって、どうしてみな
甘ったるいの、それにどれもこれもふにゃふにゃして不味い。
塩味の効いた、ぱりっとした小麦粉の香りのするパンを
食べたい」と、こぼしていた。京都は、日本の中では
美味しいパンに出会いやすい場所のような気がするのだが。

ベーカリに溢れかえっているのはお菓子系のパンばかり、
食事用のパンとなると、ぐっと選択肢は狭まり、
食パンと呼ばれる、山型、もしくは角形のパンが大半を占め・・。
日本人は、柔らかく粘っこいご飯を主食にしてきたので、
パンも同じように、柔らかくモチモチとした、水分の多い
パンが好まれるようだ。その辺りの嗜好から、今の
「食パン」の味と食感が定着してきたんだろう。

永田和宏さん一家とは同時期に滞米していたことがあり、
ワシントンで歌会をしたこともあるのだが、帰国後
初めて河野さんと何かの折にばったりお会いした時、
いきなり「アメリカって、パンが不味かったわよね」
と切り出されて、ちょっと面食らったことがある。
でもそれは一瞬で、たちまち、あのくたくたとして
水っぽい、アメリカの「食パン」を思い出し、
意気投合したのだった。日本の食パンは、あれを
お手本にしてしまったのではないか、と。
それにしても、どうしたらこんなまずい食べ物が
大量に作れて、売れてしまうのか、と不思議になるくらいの
不味さであった・・・・。

パンが一番美味、と感じたのは、私は西欧でも中欧でもなく、
ウズベキスタンである。ここのパンは、大きな平たい
円形をしていて、どちらかというと、インドのナン、
あるいはペルシアンブレッド、と呼ばれるものに近い。
ほんのりと塩味が効いていて、小麦粉の味と香りが
素晴らしかった。

私はほかに、ドイツで食べたライムギパンが気に入っていて、
日本のあちこちのパン屋で、買い求め、試しているのだが。
思い描くような味に出会えていない。もしかすると、実際に
出合った味をはるかに越えた、とてつもなく幻想的な美味を、想像的に
作り上げてしまっている結果なのかもしれない、と思うことがある。



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言い換えの美学? [言葉]

米原万里さんの本を続けて読んでいる。
同時通訳者として、翻訳者として、随筆家、作家としても
活躍されていた彼女、その経験の豊かさに、話題の豊富さに
のめりこむ様に読んでいる。

今回話題にするのは「言い換えの美学」『心臓に毛が生えている理由』。
ペレストロイカ15周年記念のシンポジウムで同時通訳を
勤めた彼女は、その基調報告で「ゴルバチョフ」の語を、
五十回以上も発している自分に気づく。ところが、ロシア人の
話し手はゴルバチョフと発語したのはほんの二、三回のみ。
ロシアでは父称と名前をセットにして呼ぶこともあるとし、
その場合「ミハイル・セルゲービイヴイッチ」と呼ばれるという。
その名称さえ二回登場しただけ。後はというと、

「幼いミーシャ(ミハイルの愛称)」だとか「スタブローボリ州の
若き党第一書記」だとか「ライサの夫」「チェルネンコの葬儀
委員長」「新しい書記長」「ペレストロイカの開始者」・・・
さらにさらに・・。ゴルバチョフの履歴を知らないと、いったい
何人の人を話題にしているのか、とあきれるほど、沢山の
主語が登場するわけで・・・。日本語に訳すときは、混乱を
避けるため、ゴルバチョフに統一する。その方が聴衆に
親切なことは確かなのだ。でも、なんでまたこんなに・・。

日本人は呆れてしまう。でもそこに、話者の「言い換えの美学」
があるのだ、と米原氏は指摘する。
そうかあ、美学か。と、私自身の経験を思い出した。
私もロシア語ではないが、英語のお話を読んでいると、
時々、「あれ、これ誰だっけ。新しい登場人物かな?」と、
戻って読み直したりすることもあるのだが。
これがその時話題にされている同一人物だった、ということが多々。

初めて児童書を読み始めたときは、この「言い換え」に
翻弄された。第一に、欧米の名前の愛称が、どうもよく頭に入らなくて。
一例を挙げるとRobertの愛称はBob、さらにBobbieやBobbyとも。
呼び方によって、親密度や関係性もわかるわけで、
大切なところなんだけれど、最初はけっこう混乱した。
また、このボビー少年がいきなり、Mr.Brownと姓で呼ばれたりもする。

エリザベスがベッツィやベス、マーガレットがマッギーやメグ、
チモシーがチミ―とか、一応頭に入れるべき愛称は山とある。
さらに「勇敢な少年」とか「おじけづくことを見せまいとする男」
とか、ひょいと登場されると、あれれ、どこから来たんだこの人は、
と慌てることもあった。日本語に訳すときは、もう最初の
呼称に統一した方が読み易いだろう、という結論になる。
それでも、こんなことが文章の深みに繋がるんだろうか、
つまり「美学」となるのかな。と少々疑問にも思えたりする。
同時通訳者にとってはさらに、混乱の元だろうと、同情する。
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