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記憶の方法・続 [言葉]

記憶の方法として、耳から聞いて覚える、という人が
いるようだが、私は明らかに視覚優位の人間である。
聞いたことより、見たこと、読んだことの方がはるかに
よく覚えられるし、情報量も豊かになるように思える。

中学生の頃、学校の授業が苦痛でたまらなかったのは、
読めば一瞬で分かるようなことを長々と聴いていなければ
ならなかったからであるが。さらにさほど重要でも
ないような知識の片々を「試験に出す」と言われて
無理やり覚えなければならないことへの強い反発も
感じていた。学期ごとに行われる中間、期末の試験は
本当に無駄だ、としか思えなかった。今もその感覚は
正しかった、と信じている。

でも、この試験は成績が悪いとひどく目立った。
当時田舎の中学に通っていたのだけれど、三度に一度位、
成績順に百番くらいまで(学年に三百数十人在席)廊下に
名前を張り出されたからである。
ばかばかしいが、あまり成績が悪いと両親の機嫌も
悪くなるので、そこは一計を案じたのだ。

試験の前の夜、教科書の試験範囲をじっと見つめる。
そして、目の裏に内容をコピーするのである。これは
見て覚えるのが得意な私には、最大の武器になった。

問題用紙を見て、「ああ、これは教科書のあのあたりに
出てきたな」と思い出す。コピー用紙をめくるように、
記憶した場面を辿っていくと、思い出せるのだ。
試験が済むと、用紙を捨てるように、記憶も捨てる。

これはなかなか効率が良くて、実際はさほどのことを
理解していないのに、点数だけは取れてしまい・・。
両親の機嫌も良いので、万々歳、となったのである。

この記憶法は、今では買い物に行った時などに応用している。
食品を置いておく棚を時々見て、その光景を頭の中に
記憶しておく。スーパーの通路を歩きながら、その
記憶を引き出し、「ああ、みりんと御酢が減り始めていたな」
とか思い出しながら買い物できる。

そして、今も、嫌だった試験勉強を思い出す。あんな方法では
理解力も想像力も創造力も身につかないじゃないか、と
忌々しく思いつつも、じゃあ、どんな方法で学べばよかったのか、
当時の自分に妙策がなかったことをつくづく悔しく思う。
ただ、好きな本だけは夢中で読んでいた。それだけだったことを
致し方なくも、残念におもうのである。

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