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記憶の方法 [言葉]

人間の記憶の容量は、言葉の創造、さらに文字の創造によって、
飛躍的に増大した。言葉がなかったら、思考もまた、限りなく
浅く、短いものになってしまっていただろう。

そんなことを考えるようになったのは、最近、どうも
物忘れ、というか、ど忘れの頻度が上がってきたように感じるから。
例えば、スポーツを話題にしてて、あの時の投手の活躍、
凄かったよね、ええと、ヤクルトにいた抑えの投手・・・。
顔は思い浮かぶ。フォームだって、目に浮かぶ。でも、その
投手の名前が思い出せない。つまり、映像を言語化する機能が、
鈍ってしまっているのだ。言語化することで増えていた記憶量が、
映像のみになってしまっている! ということは・・・。
このままでは、記憶するための器官が衰退してしまう、ということ
ではないか、と怖れてしまうのである。

さらに最近だが、不思議な記憶呼び出しスタイルが自分に
現れたことに気がついた。一つは、もう数年くらい前から
起きていることなのだが、モノを思い出そうとするとき、不思議と、
短歌の方が思い出されてしまう、というようなことがあるのだ。

一つの例としては、最近、近くを散歩していた時。
綺麗な黄色い花が咲いていて、ああ、春の黄色い花っていえば、
最近見かけなくなった花があったなあ、と思い出そうとした。
でも、名前がすぐに出て来ず、出てきたのは、もう四十年位前に
読んだある歌誌に載っていた作品、それも下句のみ。
 
  ・・・血の繋がらぬ姓も身に添ふ

この歌の上句に、今思い浮かべている花の名前が出てくるはず、
という風に思い出しているのであった! さて、上の句は・・・。
散歩の終わり近くに思い出した!
  
  エニシダの花零れつつ根づく春

そうそう、エニシダだった!あのマメ科の花だ。
という風に思い出したのである。そういうことが結構ある。
これは、う~ん、やっぱり、記憶力の減退を何とか
抑え込もうとする、無意識の作用、のせいなのか。

さて、もう一つの呼び出しスタイルだが、それは次回に。
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