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言い換えの美学? [言葉]

米原万里さんの本を続けて読んでいる。
同時通訳者として、翻訳者として、随筆家、作家としても
活躍されていた彼女、その経験の豊かさに、話題の豊富さに
のめりこむ様に読んでいる。

今回話題にするのは「言い換えの美学」『心臓に毛が生えている理由』。
ペレストロイカ15周年記念のシンポジウムで同時通訳を
勤めた彼女は、その基調報告で「ゴルバチョフ」の語を、
五十回以上も発している自分に気づく。ところが、ロシア人の
話し手はゴルバチョフと発語したのはほんの二、三回のみ。
ロシアでは父称と名前をセットにして呼ぶこともあるとし、
その場合「ミハイル・セルゲービイヴイッチ」と呼ばれるという。
その名称さえ二回登場しただけ。後はというと、

「幼いミーシャ(ミハイルの愛称)」だとか「スタブローボリ州の
若き党第一書記」だとか「ライサの夫」「チェルネンコの葬儀
委員長」「新しい書記長」「ペレストロイカの開始者」・・・
さらにさらに・・。ゴルバチョフの履歴を知らないと、いったい
何人の人を話題にしているのか、とあきれるほど、沢山の
主語が登場するわけで・・・。日本語に訳すときは、混乱を
避けるため、ゴルバチョフに統一する。その方が聴衆に
親切なことは確かなのだ。でも、なんでまたこんなに・・。

日本人は呆れてしまう。でもそこに、話者の「言い換えの美学」
があるのだ、と米原氏は指摘する。
そうかあ、美学か。と、私自身の経験を思い出した。
私もロシア語ではないが、英語のお話を読んでいると、
時々、「あれ、これ誰だっけ。新しい登場人物かな?」と、
戻って読み直したりすることもあるのだが。
これがその時話題にされている同一人物だった、ということが多々。

初めて児童書を読み始めたときは、この「言い換え」に
翻弄された。第一に、欧米の名前の愛称が、どうもよく頭に入らなくて。
一例を挙げるとRobertの愛称はBob、さらにBobbieやBobbyとも。
呼び方によって、親密度や関係性もわかるわけで、
大切なところなんだけれど、最初はけっこう混乱した。
また、このボビー少年がいきなり、Mr.Brownと姓で呼ばれたりもする。

エリザベスがベッツィやベス、マーガレットがマッギーやメグ、
チモシーがチミ―とか、一応頭に入れるべき愛称は山とある。
さらに「勇敢な少年」とか「おじけづくことを見せまいとする男」
とか、ひょいと登場されると、あれれ、どこから来たんだこの人は、
と慌てることもあった。日本語に訳すときは、もう最初の
呼称に統一した方が読み易いだろう、という結論になる。
それでも、こんなことが文章の深みに繋がるんだろうか、
つまり「美学」となるのかな。と少々疑問にも思えたりする。
同時通訳者にとってはさらに、混乱の元だろうと、同情する。
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